伊賀の国阿波の庄に新大仏といふあり。此ところはならの都、東大寺のひじり俊乗上人の旧跡なり。 ことし旧里に年をこえて、旧友宗七・宗無ひとりふたりさそひ物して、かの地に至る。 仁王門・撞楼のあとは枯たる草のそこにかくれて、「松[も]のいはヾ事とはむ石居ばかりにすみれのみして」と云けむも、かゝるけしきに似たらむ。 なを分いりて、蓮華台・獅子の座なんどは、いまだ苔のあとをのこせり。御仏はしりへなる岩窟にたゝまれて、霜に朽、苔に埋れて、わづかに見えさ玉ふに、御ぐし斗はいまだつゝがもなく、上人の御影をあがめ置たる草堂のかたはらに安直(置)したり。誠にこゝらの人の力をついやし、上人の貴願いたづらになり侍ることもかなしく、涙もおちて談(ことば)もなく、むなしき石台にぬかづきて、
|
芳 野
|
|
花ざかり山は日ごろのあさぼらけ
| 仝
|
|
景清も花見の座には七兵衞
| ばせを
|
|
花の雲鐘は上野か浅艸か
| ばせを
|
[芭蕉庵小文庫 下]
夏之部
|
文知摺石
|
|
忍ぶの郡しのぶの里とかや、文字ずりの名残とて方二間ばかりなる石あり。此石はむかし女のおもひに石となりて、其面に文字ありとかや。山藍摺みだるゝゆへ(ゑ)に、恋によせておほくよめり。いまは谷合に埋れて、石の面は下ざまになりたれば、させる風情もみえずはべれども、さすがにむかしおぼへ(え)て、なつかしければ、
|
早苗とる手もとや昔忍ぶずり
| 芭蕉
|
|
一つ脱でせなかに負けり衣がへ
| 仝
|
|
落柿舎閑居
『嵯峨日記』
に見えたり
|
|
ほとゝぎす大竹藪をもる月ぞ
| ばせを
|
|
郭公鳴や湖水のさゝにごり
|
丈草
|
|
あかし
|
|
ほとゝきすきえ行方や嶋ひとつ
| ばせを
|
|
仏頂禅師
の庵をたゝく
|
|
木つゝきも庵は破らず夏木立
| 仝
|
|
落柿舎閑居
『嵯峨日記』
に見えたり
|
|
柚の花にむかしを忍ぶ料理の間
| ばせを
|
|
卯月のはじめ庵に帰りて旅のつかれをはらす
|
程に
|
|
なつ衣いまだ虱を取つくさず
| ばせを
|
|
正成之像
|
|
鉄肝石心此人之情
|
|
なでし子にかゝるなみだや楠の露
| ばせを
|
|
牢人して東武へ下る日、粟田口にて
|
|
すゞかけを着ぬばかりなる暑かな
| 史邦
|
|
丈山之像謁
|
|
風かほ(を)る羽織は襟もつくろはず
| 芭蕉
|
|
さかさまに扇をかけてまた涼し
| 丈草
|
|
甲斐にて
|
|
行駒の麦になぐさむやどりかな
| ばせを
|
|
穐之部
|
|
盆すぎて宵闇くらし虫の声
| ばせを
|
|
不破にて
|
|
あき風や薮もはたけもふはの関
| ばせを
|
|
しら露もこぼさぬ萩のうねり哉
| 仝
|
|
ひよろひよろとなを(ほ)露けしや女郎花
| 仝
|
|
むかしきけちゝぶ殿さへすまふとり
| ばせを
|
更科姨捨月之弁
|
|
あるひはしらゝ・吹上ときくに、うちさそはれて、ことし姥捨月みむことしきりなりければ、八月十一日みのゝ国をたち、道とほく日数すくなければ、夜に出て暮に草枕す。 思ふにたがはず、その夜さらしなの里にいたる。山は八幡といふさとより一里ばかり南に、西南によこをりふして、冷(すさま)じう高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只哀ふかき山のすがたなり。なぐさめかねしと云けむも理りしられて、そヾろにかなしきに、何ゆへ(ゑ)にか老たる人をすてたらむとおもふに、いとヾ涙落そひければ、
|
望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。 「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆(ささげ)あり。 鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に櫂をならべ筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。 かねて聞く、仲秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。 とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。 やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。
錠明けて月さし入れよ浮御堂
| ばせを
|
|
やすやすと出でていざよふ月の雲
| 仝
|
|
|
|
借りかけし庵の噂やけふの菊
|
丈草
|
|
「芽立より二葉にしげる柿の実(さね)」と申侍りし
|
はいつの年にや有けむ。彼
落柿舎
もうちこぼ
|
すよし、発句に聞えたり。
|
|
やがて散る柿の紅葉も寐間の跡
|
去来
|
|
渋柿はかみのかたさよ明やしき
| 丈草
|
|
死もせぬ旅寐のはてよ秋のくれ
| ばせを
|
|
柴の庵ときけばいやしき名なれども
|
よにこのもしき物にぞ有ける
|
|
此うたは東山に住みける僧を尋て
西行
のよま
|
せ給ふよし、
『山家集』
にのせられたり。
|
いかなる住居にやと、先その坊なつかしけ
|
れば
|
|
柴の戸の月や其まゝあみだ坊
| 芭蕉
|
|
伊勢国又玄が宅にとゞめられ侍るころ、其妻
|
の男の心にひとしく、物ごとまめやかに見え
|
ければ、旅の心をやすくし侍りぬ。かの日向
|
守が妻、髪を切て席をも(ま)うけられし心を、い
|
まさら申出て
|
|
月さびて明智が妻の咄せむ
| ばせを
|
|
三 吟
|
|
帷子は日々にすさまじ鵙の声
| 史邦
|
|
籾壱舛(升)稲のこき賃
| ばせを
|
|
蓼の穂に醤(ひしほ)のかびをかき分て
|
岱水
|
|
|
|
座右之銘
|
|
人の短をいふ事なかれ
|
己が長をとく事なかれ
|
|
物いへば唇寒し穐の風
| 芭蕉翁
|
|
元禄九丙子歳三月日
|
俳 書
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|