このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 書

『芭蕉庵小文庫』(史邦編)


中村史邦 編。自序。芭蕉の句を78句収録。

元禄9年(1696年)3月、刊。

史邦は中村荒右衛門。犬山藩の侍医。元禄6年(1693年)秋、江戸に出る。

[芭蕉庵小文庫 上]

「木曽の情雪や生ぬく春の草」と申されける言の葉のむなしからずして、 かの塚 に塚をならべて、風雅を比恵(叡)・日(比)良の雪にのこしたまひぬ。 さるを、むさし野の ふるき庵 ちかき 長渓寺 の禅師は、亡師としごろむつびかたらはれければ、例の 杉風 、かの寺にひとつの塚をつきて、「 さらに宗祇のやどりかな 」と書を(お)かれける一帋(し)を壺中に納め、この塚のあるじとなせり。

日の影のかなしく寒し発句塚
   史邦

  冬之部

雷おつる松はかれ野の初しぐれ
    丈草

     嶋田の宿 にて

宿かして名を名のらする時雨哉
   ばせを

御命講や油のような酒五升
   ばせを

凩のあたりどころやこぶ柳
   丈草

毛衣につゝみてぬくし鴨の足
   ばせを

金屏の松もふるさよ冬籠
   芭蕉

    旅 宿

大名の寐間にもねたる寒さ哉
    許六

留守のまにあれたる神の落葉哉
   芭蕉

はつ雪やかけかゝりたる橋の上
   ばせを

初雪やひじり小憎の笈の色
   仝

納豆するとぎれやみねの雪起
   丈草

月花の愚に針立む寒の入
   ばせを

魚鳥の心はしらず年わすれ
   仝

蛤の生けるかひあれ年の暮
   ばせを

    門人

是や世の煤に染らぬ古合子
   ばせを

  春之部

年々や猿にきせたる猿の面
   芭蕉

  鳰の海辺に年をこえて

    三日嘴を氷ス

大津絵の筆のはじめや何仏
   仝

  いかなる事にやありけむ、「 去来 子へつかはす」
  と有。

菎蒻(こんにやく)のさしみもすこし梅の花
   ばせを

はる雨の木下にかゝる雫かな
   仝

   南良ごえ

春なれや名もなき山の朝がすみ
   ばせを

   二月堂取水

水とりや氷の僧の沓のを(お)


蛇くふときけばおそろし雉子の声
   芭蕉

    呂丸 追悼 三句

雲雀なく声のとゞかぬ名ごり哉
   会覚

ふみきやす雪も名残や野べの供
    去来

野を(お)くりや膝がくつきて朧月
   史邦

      伊賀新大仏寺之記

 伊賀の国阿波の庄に新大仏といふあり。此ところはならの都、東大寺のひじり俊乗上人の旧跡なり。 ことし旧里に年をこえて、旧友宗七・宗無ひとりふたりさそひ物して、かの地に至る。 仁王門・撞楼のあとは枯たる草のそこにかくれて、「松[も]のいはヾ事とはむ石居ばかりにすみれのみして」と云けむも、かゝるけしきに似たらむ。 なを分いりて、蓮華台・獅子の座なんどは、いまだ苔のあとをのこせり。御仏はしりへなる岩窟にたゝまれて、霜に朽、苔に埋れて、わづかに見えさ玉ふに、御ぐし斗はいまだつゝがもなく、上人の御影をあがめ置たる草堂のかたはらに安直(置)したり。誠にこゝらの人の力をついやし、上人の貴願いたづらになり侍ることもかなしく、涙もおちて談(ことば)もなく、むなしき石台にぬかづきて、

丈六に陽炎高し石の上
   ばせを

咲みだす桃の中よりはつ桜
   ばせを

   西行像讃

   すてはてゝ身はなきものとおもへども

   ゆきのふる日は
   ばせを

さむくこそあれ、花の降日はうかれこそすれ

   芳 野

花ざかり山は日ごろのあさぼらけ
   仝

景清も花見の座には七兵衞
   ばせを

花の雲鐘は上野か浅艸か
   ばせを

[芭蕉庵小文庫 下]

  夏之部

   文知摺石

 忍ぶの郡しのぶの里とかや、文字ずりの名残とて方二間ばかりなる石あり。此石はむかし女のおもひに石となりて、其面に文字ありとかや。山藍摺みだるゝゆへ(ゑ)に、恋によせておほくよめり。いまは谷合に埋れて、石の面は下ざまになりたれば、させる風情もみえずはべれども、さすがにむかしおぼへ(え)て、なつかしければ、

早苗とる手もとや昔忍ぶずり
   芭蕉

一つ脱でせなかに負けり衣がへ
   仝

   落柿舎閑居 『嵯峨日記』 に見えたり

ほとゝぎす大竹藪をもる月ぞ
   ばせを

郭公鳴や湖水のさゝにごり
    丈草

   あかし

ほとゝきすきえ行方や嶋ひとつ
   ばせを

    仏頂禅師 の庵をたゝく

木つゝきも庵は破らず夏木立
   仝

   落柿舎閑居 『嵯峨日記』 に見えたり

柚の花にむかしを忍ぶ料理の間
   ばせを

   卯月のはじめ庵に帰りて旅のつかれをはらす
   程に

なつ衣いまだ虱を取つくさず
   ばせを

     正成之像

   鉄肝石心此人之情

なでし子にかゝるなみだや楠の露
   ばせを

   牢人して東武へ下る日、粟田口にて

すゞかけを着ぬばかりなる暑かな
   史邦

   丈山之像謁

風かほ(を)る羽織は襟もつくろはず
   芭蕉

さかさまに扇をかけてまた涼し
   丈草

   甲斐にて

行駒の麦になぐさむやどりかな
   ばせを

  穐之部

盆すぎて宵闇くらし虫の声
   ばせを

   不破にて

あき風や薮もはたけもふはの関
   ばせを

しら露もこぼさぬ萩のうねり哉
   仝

ひよろひよろとなを(ほ)露けしや女郎花
   仝

むかしきけちゝぶ殿さへすまふとり
   ばせを

      更科姨捨月之弁

 あるひはしらゝ・吹上ときくに、うちさそはれて、ことし姥捨月みむことしきりなりければ、八月十一日みのゝ国をたち、道とほく日数すくなければ、夜に出て暮に草枕す。 思ふにたがはず、その夜さらしなの里にいたる。山は八幡といふさとより一里ばかり南に、西南によこをりふして、冷(すさま)じう高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只哀ふかき山のすがたなり。なぐさめかねしと云けむも理りしられて、そヾろにかなしきに、何ゆへ(ゑ)にか老たる人をすてたらむとおもふに、いとヾ涙落そひければ、

俤は姥ひとり泣く月の友
   ばせを

いざよひもまだ更科の郡かな
   仝

名月や門にさし込潮がしら
   仝

侍の身を露にして月みかな
   史邦

   常陸へまかりける時、船中にて

あけぼのや廿七夜も三日の月
   ばせを

       堅田十六夜の弁

 望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。 「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆(ささげ)あり。 鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に櫂をならべ筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。 かねて聞く、仲秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。 とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。 やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。

錠明けて月さし入れよ浮御堂
   ばせを

やすやすと出でていざよふ月の雲
   仝



借りかけし庵の噂やけふの菊
    丈草

   「芽立より二葉にしげる柿の実(さね)」と申侍りし
   はいつの年にや有けむ。彼 落柿舎 もうちこぼ
   すよし、発句に聞えたり。

やがて散る柿の紅葉も寐間の跡
    去来

渋柿はかみのかたさよ明やしき
   丈草

死もせぬ旅寐のはてよ秋のくれ
   ばせを

   柴の庵ときけばいやしき名なれども
   よにこのもしき物にぞ有ける

    此うたは東山に住みける僧を尋て 西行 のよま
    せ給ふよし、 『山家集』 にのせられたり。
    いかなる住居にやと、先その坊なつかしけ
    れば

柴の戸の月や其まゝあみだ坊
   芭蕉

    伊勢国又玄が宅にとゞめられ侍るころ、其妻
    の男の心にひとしく、物ごとまめやかに見え
    ければ、旅の心をやすくし侍りぬ。かの日向
    守が妻、髪を切て席をも(ま)うけられし心を、い
    まさら申出て

月さびて明智が妻の咄せむ
   ばせを

    三 吟

帷子は日々にすさまじ鵙の声
   史邦

 籾壱舛(升)稲のこき賃
   ばせを

蓼の穂に醤(ひしほ)のかびをかき分て
    岱水



      座右之銘

   人の短をいふ事なかれ
   己が長をとく事なかれ

物いへば唇寒し穐の風
   芭蕉翁

   元禄九丙子歳三月日

俳 書 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください