このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
丈六に陽炎高し石の上
成田山公園
に芭蕉の句碑があった。
芭蕉の句碑
丈六に陽炎高し石の上
この句碑は芭蕉追福のために天明8年(1788年)に建立された。句は貞享5年(1688年)旅の途中の新大仏寺で詠まれたものである。
「丈六」は、釈迦の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから、1丈6尺。また、その高さの仏像。
伊賀の國阿波の庄といふ所に、俊乗上人の旧跡有。護峰山新大仏寺とかや云、名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶えて田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全おはしまし侍るぞ、其代の名残うたがふ所なく、泪こぼるゝ計也。石の連
(蓮)
台・獅子の座などは、蓬・葎の上に堆ク、双林の枯たる跡も、まのあたりにこそ覺えられけれ。
丈六にかげろふ高し石の上
さまざまのこと思ひ出す櫻哉
『笈の小文』
初案は「陽炎の俤つゝれ」。
丈六のかげろふ高し石の上
かげろふに俤つくれ石のうへ
此句、当国大仏の句也。人にも吟じ聞せて、自も再吟有て、丈六の方に定る也。
『三冊子』
(土芳著)
阿波の郷大佛寺にて、
陽炎の俤つゝれいしのうへ
此句後丈六に陽炎高し と改る。
『芭蕉翁全傳』
天明8年(1788年)10月12日、松風庵玉斧建立。曲直庵亀文書。
松風庵玉斧は八日市場蕪里の俳人大木幸太夫。
寛政5年(1793年)、没。
曲直庵亀文は江戸浅草の俳人本多亀文。
潮来市の
長勝寺
にある「時雨塚」も曲直庵亀文の書である。
千葉県で最も古い「芭蕉」の句碑は
笠森観音
にあるが、存疑句。笠森観音に次いで古い芭蕉の句碑である。
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