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西行ゆかりの地


『山家集』

治承2年(1178年)頃に成立し、約300首が増補されたという。

   春の歌

   梅に鶯の鳴きけるを

梅か香にたぐへて聞けばうぐひすの聲なつかしき春の山ざと

小ぜりつむ澤の氷のひまたえて春めきそむる櫻井の里

ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃

   山家呼子鳥

山ざとに誰を又こはよふこ鳥ひとりのみこそ住まむとおもふに

佛には櫻の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば

   夏の歌

   美濃の國にて

郭公都へゆかばことづてむ越えくらしたる山のあはれを

   秋の歌

   女郎花水近

女郎花池のさなみに枝ひぢてもの思ふ袖の濡るゝ顔なる

   久しく月を待つといふ事を

出でながら雲にかくるる月かげをかさねて待つや二むらの山

   小倉の麓に住み侍りけるに鹿のなきけるをきゝて

牡鹿なく小倉の山のすそ近みたゞひとりすむ我心かな

   名所の月といふことを

清見潟沖の岩こすしら波に光をかはす秋の夜の月

   海邊月

清見潟月すむ夜半のうき雲は富士の高嶺の烟なりけり

   遠く修行し侍りけるに、 象潟 と申所にて

松島や雄島の磯も何ならずただきさがたの秋の夜の月

荒れわたる草のいほりにもる月を袖にうつしてながめつるかな

くまもなき月のひかりをながむればまづ姨捨の山ぞ戀しき

   冬 歌

月をまつ高嶺の雲は晴れにけり心ありけるはつ時雨かな

   題しらず

千鳥なく繪嶋の浦にすむ月を波にうつして見る今宵かな

   西國へ修行して罷りける折、兒嶋と申所に、八幡のい
   はゝれ給ひたりけるに籠りたりけり。年經て又その社
   を見けるに、松どもの古木になりたりけるを見て

むかし見し松は老木に成にけり我年經たる程も知られて

   羈旅歌

天王寺にまゐりけるに、雨のふりければ、江口と申す所に宿を借りけるに、かさざりければ

世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりを惜しむ君かな

   かへし

家を出づる人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ

   天王寺へまゐりて、龜井の水を見てよめる

あさからぬ契の程ぞくまれぬる龜井の水に影うつしつゝ

   庵のまへに松のたてりけるを見て

久にへて我が後の世をとへよ松跡したふべき人もなき身ぞ

ここを又我が住みうくてうかれなば松はひとりにならむとすらむ

大師の生れさせ給ひたる所とて、めぐりしまはして、そのしるしの松のたてりけるを見て

あはれなり同じ野山にたてる木のかゝるしるしの契ありけり

岩にせくあか井の水のわりなきは心すめともやどる月かな

   雜 歌

いにしへ頃、東山に阿彌陀房と申ける上人の庵室にまかりて見けるに、何となくあはれにおぼえて詠める

柴の庵と聞くは悔しき名なれども世に好もしき住居なりけり

またれつる入相のかねの音すなり明日もやあらば聞かむとすらん

しほそむるますをのこ貝ひろふとて色の濱とはいふにやあるらむ

あづまの方へ、相知りたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの、昔になりたりける、思ひ出でられて

年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山

   あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て

風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

陸奥の國へ修行して罷りけるに、白川の關に留まりて、所柄にや常よりも月おもしろくあはれにて、 能因 が、「秋風ぞ吹く」と申しけん折何時なりけんと思出でられて、名殘り多くおぼえければ、關屋の柱に書き付けける

白川の關屋を月の洩る影は人の心を留むる成けり

關に入りて、信夫と申邊、あらぬ世の事におぼえて哀れなり。都出でし日數思ひ續けられて、「霞と共に」と侍ることの跡辿り詣(ま)で來にける心一つに思知られて詠みける

みやこ出でて逢坂越えし折までは心かすめし白川の關

武隈の松は昔になりたりけれども、跡をだにとて見に罷りて詠みける

枯れにける松なき跡の武隈はみきと言ひても甲斐なかるべし

陸奥の國にまかりたりけるに、野の中に常よりもとおぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中將の御墓と申は是が事なりと申ければ、中將とは誰がことぞと、又問ひければ、實方の御事なりと申ける、いとかなしかりけり。さらぬだに物哀に覺えけるに霜枯れ枯れの薄、ほのぼの見えわたりて、のちに語らんも言葉なきやうにおぼえて

朽ちもせぬその名ばかりを留め置て枯野の薄形見にぞ見る

とふ人も思ひたえたる山里のさびしさなくは住みうからまし

陸奥の奥ゆかしくぞおもほゆる壷の碑そとの濱風

十月十二日、平泉に罷着きたりけるに、雪降り、嵐激しく、殊の外に荒れたりけり。いつしか衣河見まほしくて罷りむかひて見けり。河の岸につきて、衣河の城しまはしたる事柄、様變りて物を見る心地しけり。汀凍りて取り分き冱えければ

<取り分きて心も凍みて冱えぞ渡る衣河見に來たる今日しも

伊勢の二見の浦に、さる様なる女(め)の童どもの集まりて、わざとのこととおぼしく、蛤をとり集めけるを、いふ甲斐なき蜑人こそあらめ、うたてきことなりと申ければ、貝合せに京より人の申させ給たれば、選りつゝ採るなりと申けるに

今ぞ知る二見の浦のはまぐりを貝合せとて覆ふなりけり

ふりたるたな橋を、紅葉のうづみたりける、渡りにくくてやすらはれて、人に尋ねければ、おもはくの橋と申すはこれなりと申しけるを聞きて

ふまゝうき紅葉の錦散りしきてひとも通はぬおもはくの橋

陸奥の國に平泉に向ひて、たはしねと申す山の侍に、異木は少き様に櫻の限見えて、花の咲きたりけるを見て詠める

きゝもせずたはしね山の櫻花吉野の外にかゝるべしとは

  神祇歌

俊恵天王寺にこもりて、人々具して住吉にまゐり歌よみけるに具して

住よしの松が根あらふ浪のおとを梢にかくる沖つしら波

   みもすそ二首

初春をくまなく照らす影を見て月にまづ知るみもすその岸

みもすその岸の岩根によをこめてかためたてたる宮柱かな

『異本山家集』

   太神宮御祭日よめるとあり

何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの(に)なみだこぼるゝ

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