このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

伊勢神宮〜『野ざらし紀行』〜
indexにもどる

せっかく 鳥羽 まで来たのだから、 伊勢神宮 (HP)に立ち寄ることにする。

伊勢神宮の正式名称は「神宮」。

 神宮の参拝は、まず外宮からというが古来からのならわしだというので、外宮に向かう。


伊勢神宮(外宮)


御祭神は豊受大御神(とようけおおみかみ)

   太神宮御祭日よめるとあり

何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの(に)なみだこぼるゝ

『異本山家集』

『山家集』には、ない。

貞享元年(1684年)8月、芭蕉も外宮に参詣している。

 暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表(とりゐ)の陰ほのくらく、御燈(みあかし)処々に見えて、「また上もなき峯の松風」身にしむ計、ふかき心を起して、

みそか月なし千とせの杉を抱あらし


貞亨5年(1688年)2月、芭蕉は再び伊勢神宮を参拝している。

   伊勢山田

何の木の花とはしらず匂哉

裸にはまだ衣更着の嵐哉


 元禄2年(1689年)9月6日(陽暦10月18日)、芭蕉は伊勢の遷宮を拝みに大垣から舟で 二見 に向かった。

旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて

    蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

『奥の細道』

 9月10日に内宮の遷座式、同13日に外宮の式が行われた。結局芭蕉は内宮の式には間に合わず、外宮の式を拝した。

 内宮は事をさまり、外宮の遷宮にはせつき給ひ、

たふとさにみなおしあひぬ御遷宮


 元禄7年(1694年)9月、 其角 は外宮に参拝している。

外宮 近く拜まれたまへば

   日は晴れて古殿はきりの鏡かな


 元禄11年(1698年)5月末、岩田涼莵は江戸へ旅立つに当たり、伊勢神宮に参詣している。

   外宮

凉しさのまことは杉の梢なり


 嘉永6年(1853年)5月8日、吉田松陰は江戸に行く途中、外宮に参詣している。

山田に至る。外宮に詣で、足代權太夫を訪うひ、談話之を久しうす。


内宮 は駐車場が一杯で、停められなかった。

私の旅日記2010年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください