このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2011年

伊勢神宮〜内宮〜
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昨年は伊勢神宮 外宮 に参拝したので、今年は内宮へ。


宇治橋鳥居


皇大神宮(内宮)

御祭神 天照大御神

御鎮座 垂仁天皇26年

 天照大御神は皇室の御祖神であり、歴代天皇が厚くご崇敬になられています。また私たちの総氏神でもあります。

 約2000年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり、各地をめぐられたのち、この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました。

 20年ごとに神殿をお建て替えする式年遷宮は1300年余り続けられてきました。

 第62回神宮式年遷宮は平成25年に行われる予定です。

神苑


とにかく広い。

   みもすそ二首

初春をくまなく照らす影を見て月にまづ知るみもすその岸

みもすその岸の岩根によをこめてかためたてたる宮柱かな


御手洗場と五十鈴川


 元禄5年(1692年)、徳川綱吉の生母桂昌院が石畳を寄進したといわれる。

 五十鈴川は、倭姫命が御裳の裾の汚れを濯がれたことから「御裳濯(みもすそ)川」とも呼ばれる。

神楽殿


 貞享元年(1684年)8月、芭蕉は内宮参詣を志したが、僧侶姿の芭蕉は神前に入ることを許されなかった。

 腰間に寸鐵をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有。俗にゝて髪なし。我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず。


 元禄5年(1692年)5月13日、貝原益軒は内宮に参拝して式年遷宮のことを書いている。

凡、内外の宮はいにしへより二十年毎に改めつくり給ふ。是を式年とす。此故に、いつも正殿のかたはらにふるき神殿ありて、宮つくり同じさまなり。神門など、かやぶきあれてみゆれど、式年の内はふき改めず。外宮に四所の神殿あり。内宮に七所の神殿あり。皆、式年ごとに改め作らる。


 元禄7年(1694年)9月、 其角 は内宮に参拝している。

内宮 浮屠の屬(たぐひ)にたゝへて心へだちたる。五十鈴川より遙に拜す。

   身の秋や赤子もまゐる神路山


 元禄11年(1698年)5月末、 岩田涼莵 は江戸へ旅立つに当たり、伊勢神宮に参詣している。

   内宮

拍手の袂も凉し木の雫


正宮の石段


正宮は撮影禁止。

 明和9年(1772年)、 加舎白雄 は伊勢神宮内宮で新年を迎える。

   勢大廟前元日立春

椙の木に今春たてる神路山


 安永3年(1774年)4月末、 井上士朗 は鴎巣都貢と共に伊勢神宮を遥拝している。

卯月もかきりの日おほん神の宮所にまうてぬまつ御裳濯川に垢離して遥拜す

   かけ波は我に卯月の祓哉
   士朗

   松に風心(タマ)に銘する薫り哉
   都貢


 昭和9年(1934年)4月8日、 高浜虚子 は伊勢神宮内宮を訪れている。

旅は春赤福餅の店に立つ

   内宮

神前の花に進める修交使

      四月八日。朝、宇治山田驛下車。阿漕主宰俳句大會に出席。此夜千
      秋樓泊。


 昭和31年(1956年)4月28日、 水原秋桜子 は伊勢神宮に参拝している。

   四月二十八日、伊勢神宮参拝。五十鈴川の御手洗にて

もつれつゝ瀬波の影の鯉となる

宮路行き遠瀬の河鹿まがふなし

『玄魚』

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