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加舎白雄

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『しら雄句集』

寛政5年(1793年)成。 碩布 編。 道彦 序。板下 巣兆

白雄句集 巻之一 碩布著

  歳 旦

天鶏羽うつて万鶏うたふの此暁、践(ふみ)約せしみたり、沓ふみしめて山にのぼる田毎の日こそ恋しけれ。その田毎の日影恋しきが故也。山は姥すてしところにて、何れを年の始の姿といふべくもあらねど、雪のむらぎへなるに、日のかはらかに光りあひたる、ものなつかしき旦(あした)なりけり。

春いまだ田毎の雪間雪間かな

    勢大廟 前元日立春

椙の木に今春たてる神路山

信中 虎杖菴 に春をむかひ、雪のきゆるを待て皇都に杖ひくべき趣を、人々にさゝやきはべりて。

初がすみきその嶽々たのもしき

   相州酒匂、 南蔵蜜(密) に春を迎ふ

みなみどり松を見海をけさの春

武野桃原菴に春を迎ふ。

   主がせちより先捫虱の貧を忘。

世とゝもに身のきそ始おもふかな

おもふ柳見にゆくころとなりに鳬

  春の雨

    鴫立沢 にありしころ

春雨や傘さしつれし浜社

   (江)の嶋にて

春風や潮に手あらひ口そゝぐ

  ながき日

    也寥禅師 の消息に酬ゆ

ながき日やみちのくよりの片たより

  西行忌

捨がたき妻や子や兵衛尉と聞へしも西上人ときこへしも、たゞかりそめの名なる事を。

花に死んねがひは欲のかゞみかな

  春の鳥

浅間山 つなみせしあくる年、その麓を過るとて。

砂ふるへあさまの砂を麦うづら

  花 さくら

人恋し灯ともしころをさくらちる

兄の七回忌にはるばる杖曳つゝ奥城所(おくつきどころ)拝みけるに、七とせの昔は只おもかげにのみ、初喪にかはらぬおもひ、我人にのみありて。

ちからなき旅して花に墓参

  已下不分題

   師の単忌、鴫立沢にありし頃

おもひ出てさし木の五加木(うこぎ)摘日かな

白雄句集 巻之二 碩布著

  ほとゝぎす

子規なくや夜明の海がなる

   碓氷峠にて

鄙曇かならずよ山時鳥

    あたみ 入湯

有明や初ほとゝぎす樒(しきみ)ぶね

   品浦 海晏寺

江を採て似あはし山のほとゝぎす

三桃ぬしを携へし雨石老人の東武行はやよひはじめになん参りあはせて、むまのはなむけせしが、ともに長居の老人は江戸に、我はしなのに、此日井々亭をとひて、噂尽つべくもあらずなりけり。

(さぞ)くさめ嘸ほとゝぎすはつがつを

   馬門亭

人の知る曾我中村や青あらし

  紫陽花

   鳥酔居士之墓

あぢさゐのかはりはてたる思ひかな

  端 午

さうぶ湯やさうぶ寄くる乳のあたり

  清 水

蜷のすむ数さへ見ゆる とは師が遺章になん。さるをこのほど滞溜なす福正蓮社に、一筋の流れいと清きあるを。

朝夕や恋る清水の蜷むすび

  雑 題

旅人に旅びと見せよといひけんも思ひあはすの折から、紀枝なる者、青樽を携来るに我人興に入て

冷し酒旅人我をうらやまん

白雄句集 巻之三 碩布著

  立 秋

はつ秋や誰先かけし筥根山

友なる雨石老人、七月七日の夜身まかりけるよし告こしけるに、なみだこぼれて。

星の夜を臨終とや空をうち見たり

  稲 妻

稲妻やとゞまるところ人のうへ

  秋 風

朝六や誰も通らず秋の風

吹尽しのちは草根に秋のかぜ

   みちのく行脚のころ両足山にて

門に入れば僧遙なり秋の風

魂まつや柱さだめぬ宵の宿

   対門人

ことごとに我もしらずよ秋の艸

  月

    雨塘 が午明楼上

月ひと夜出汐の森は忘れざる

澪竹におもひぞとゞく江の月見

   栄路・山暉同舟、深川 五本松 にて

秋涼し月見をちぎる松がもと

  紅 葉

    正灯寺

門に入て紅葉かざゝぬ人ぞなき

江都にたらぬものなしといひけるに戯れて。

花紅葉江都に鹿啼山もがな

勢南一葉菴にありしころ、さかりなる桃の一枝を恵れつゝ、けふの花にさしそへて酒酌けるに。

桃に菊けふを盧生が現かな

    鴫立沢 にありしころ

沢蟹のあゆみさしけり秋の暮

  已下不分題

浅間山 の烟いぶせくも、みやはとがめぬと聞へ(え)しにことかはりて山つなみとかや、吾妻一郡の里々馬・人流れうせぬと、追おひ告るものありて、まちまち噂こゝろならずも、そこの門人をかぞへて文の奥に。

生はとく死は歴て告よあきの水

葉生姜や手にとるからに酒の事

   九月朔日伊勢御遷宮

今朝の旭はつ日に似たる御遷宮

   同四日

奏運(かなではこぶ)神宝(かんたから)さぞ御せん宮

白雄句集 巻之四 碩布著

馬巷に春秋菴ふたゝびなりぬ。詞友の丹誠大かたならぬをこの日わが二翁につゝしんで告す。

初しぐれ艸の菴にてはなかりけり

    也寥禅師 の画に

松嶋をよく見て句なき翁かな

武野中毛呂の邑長 橿寮碩布 があるじして蕉翁忌いとなむ日、行嚢に蔵したる遺像を壁にたれつゝ其(の)徳光の一燈をかいたて謹(ん)で諸子と風雲をいのる

担ひもて毛呂に翁のしぐれかな

   靍見橋上

朝夕や靍の餌まきが橋の霜

江都にひとりの母をもちて、住よき嵯峨の菴をだに人にゆずり、東道の行かひ身を安ふせしも、ひとへに至孝の為ときこへし 重厚 入道也。ことしも来て、夏日のまくらに凉風をまねき、霜雪の床に埋火かきうがち、いたはりけるも老きはるこの度の別れ。

臥て号哭、天に叫ぶのなみだやまずとなん。きく我すらむねつぶれ侍る。憶に秋の半にや、姨捨山の月かけて、そり捨し母のしら髪を襟になし、よし光寺へ詣んと、すゞろごゝろのすゞろにたのもしかりしを。噫。

日に消ぬ霜とやかこつ母の髪

九月十七日、伊勢の 呉扇 老人身まかりけるよし、師が五組系のひとりなるをや。それのみかは、一葉菴の古へ、なつめ菴の明くれ、何か心なき人はしるらめ。十月十七日人々とゝもに追善の席をまうけて。

組そめし糸よかつらよ霜悲し

天明四年霜月廿七日
時は蔦の葉のかつかつ枯て、ものこひ鴫の啼かひなきゆふべなりけり。みちのく 也寥禅師 遷化ましましけるよし、おもひこまごまと、そこの門人よりつげこしける。禅師は伊陽の産、芭蕉の翁にゆかりありて、我爲に翁の枕表帋附属の師、且参禅無二の師たりしをや。

みちのくの空たよりなや霜の声

    住吉 に詣りて

松風や霜にはゝきして庭神楽

かいきへ(え)てまたあらはれつ雪の鹿

  冬 籠

捨てられぬものはこころよ冬籠

    里恭

金塀に旅して冬を籠る夜ぞ

  榾

    野火留 にて

妻も子も榾火に籠る野守かな

くちおしや寒夜にくぢく捨こゝろ

    伊勢 年籠

とし籠もみ火の御灯拝みけり

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