このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
白雄の句碑
ちる花はちらして寺のさかりかな
上田市中央北に
大輪寺
という寺がある。
天照山大輪寺
大輪寺に加舎白雄の句碑があった。
加舎白雄の句碑
ちる花はちらして寺のさかりかな
俳人加舎白雄(白尾)句碑
白雄
(1738−91)は、本名春吉、
与謝蕪村
とならび称された天明時代の俳人、上田藩士の次男として江戸に生まれ、芭蕉俳諧の復興に生涯をかけた。
この句文は、明和8年(1771年・34歳)3月、上田の門人
岡崎如毛
・児玉左十と大輪寺に遊んだ折のもので、上田を詠んだ数少ない自筆作品である。
登
二
大輪禅刹
一
きさらぎ
(二月)
と過、やよひいたりぬ。 こゝぞこれ無人の境
(俗人の居ない地)
、こゝぞこれ不住の天
(作為のない世界)
、楼閣山巓
(山頂)
に倚、ものとして世界にしたがはざるなし。 まして花
(桜)
をや。腥葷
(なま臭い物)
ははこぶまじ。さかづきは袂にせよとうかるゝものは甘流
(左十)
、曲肱
(如毛)
やつがれ
(私)
のみたり。あそぶこと三時
(6時間)
、日はななめになりぬ。
九乳の蒲牢
(焚鐘)
は天窓
(あたま)
の
うへにひゞき枯木堂
(座禅堂)
は
ちる花はちらして寺のさかりかな 白尾
(白雄の前号)
白雄坊
※「牢」はウ冠ではなく穴冠。
「九乳の蒲牢」
天明4年(1784年)3月、大輪寺で兄吉重の葬儀。
天明5年(1785年)3月1日、兄吉重一周忌。
月に日にセまる涙かはるの雨
「兄一周忌追悼」
寛政2年(1790年)3月、兄吉重七周忌に上田へ。
ちからなき旅して花に墓参
『しら雄句集』
白雄の句碑
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