このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
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墨田区
白鬚神社
〜加舎白雄の句碑〜
向島百花園
を出ると、墨提通り沿いに白鬚神社がある。
天暦5年(951年)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する
白鬚大明神
の御分霊をここにまつったと、社殿の記録は伝えている。
白鬚神社
祭神は猿田彦命。
隅田河堤の下にあり。祭神は猿田彦命なり。祭礼は九月十五日に執行
(しゆぎやう)
せり。別当は真言宗にして西蔵院と号く。相伝ふ。天暦五年辛亥慈恵大師関東下向の頃、霊示によりて近江国志賀郡打下よりこの地に勧請し給ふとなり。天正十九年に至り神領を附し給ふ。
『江戸名所図会』
(白髭明神社)
慈恵大師は、第十八代天台座主良源。
元三大師
の名で知られる。
白鬚大明神を隅田川七福神の寿老人としている。
隅田川七福神は多聞寺 (毘沙門天)、白鬚神社 (寿老神)、
百花園
(福禄寿)、
長命寺
(弁財天)、
弘福寺
(布袋尊)、
三囲神社
(恵比寿、大国神)の6箇所。
白鬚神社の入口に
江戸・東京の農業
寺島ナス の案内板があった。
江戸・東京の農業
寺島ナス
寺島ナス
かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688〜1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村であったが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
享保20年(1735年)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬
(かそ)
とす。」として、江戸近郊の名産であることが記され、また、文政11年(1828年)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」とナスの産地だったことを示しています。
農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ッ目、神田の土物店(青物市場)等に出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。
平成9年度JA東京グループ
白鬚神社にも数多くの碑があった。
そのひとつに
加舎白雄の句碑
がある。
加舎白雄の句碑
人こひし灯ともしごろをさくら散る
安永元年(1772年)3月、吉野山での作。
初案は「
もの恋し火ともしころをちる桜
」。
加舎白雄
の代表作。
文化10年(1813年)3月、拙堂により建立された。
文化10年は加舎白雄の二十三回忌。
この句の碑は
上田城跡公園
にもある。
明治32年(1899年)、高浜虚子は白鬚神社を訪れている。
白鬚神社
梅咲いて白鬚寒き社かな
「半日あるき」
白鬚橋
火灯し頃である。
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