このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

熊野神社〜白雄と蓼太の句碑〜
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 嘉永4年(1851年)4月8日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、鶴見橋を渡る。

河崎 驛の前に川あり、橋を鶴見と曰ふ。蓋し村名に依れるならん。


横浜市鶴見区市場東中町に熊野神社がある。


熊野神社


 御祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊邪奈岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪奈美尊(いざなみのみこと)

熊野神社の左手に 加舎白雄大島蓼太 の句碑があった。



朝夕や鶴の餌まきか橋の霜
   白雄

五月雨や鶴脛ひたすはし柱
   蓼太

東海道鶴見橋を詠んだ句だそうだ。

 江戸時代には鶴見橋の辺りに鶴が棲みつき、餌づけがおこなわれていたという。

昭和21年(1946年)5月、建立。

鶴見出身の俳人飯田九一の揮毫だそうだ。

白雄の句は 『しら雄句集』 に収録されている。

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