このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉ゆかりの地
〜五本松跡〜
JR総武線錦糸町駅南口から四ッ目通りを行くと、小名木川の手前に五本松跡がある。
五本松跡
江戸時代この付近から東にかけて小名木川の河畔に老松があり、小名木川の五本松として有名となり、地名ともなったほどであって、その一本の松が九鬼家の屋敷から道をこえて水面を覆っている風景が 「江戸名所図会」に描かれ錦絵などにも取材されましたが、明治時代になって枯れてしまいました。
小名木川橋から小名木川の川上を望む。
同所小名木川通り大島にあり。(或人云く、旧名女木三谷
(をなぎさや)
なりと。古き江戸の図にうなぎ沢とも書けり。『江戸雀』小奈木川に作る。又この地に鍋匠
(なべつくり)
の家ある故に、俗間字して鍋屋堀とよべり。) 九鬼家の構の中より、道路を越えて水面を覆ふ所の古松をいふ。(昔は、この川筋に同じ程の古松五株までありしとなり。他は枯れてたゞこの松樹
(まつ)
のみ今猶蒼々たり。)又この川を隔てゝ南岸の地は、知恩院宮尊空法親王御幽棲の旧跡なり。(同卷本所霊山寺の条下を合せみるべし。)
『江戸名所図会』
(五本松)
昭和63年(1988年)9月に復活したそうだ。
現在は三本松のように見える。
小名木川橋の欄干に五本松と小名木川を描いたレリーフがある。
歌川広重の『名所江戸百景』97景秋
「小奈木川五本まつ」
である。
芭蕉も五本松に舟を止め、句を残している。
深川の末、五本松といふ所に船をさして
川上とこの川下や月の友
『続猿蓑』
宝暦9年(1759年)、
大島蓼太
は門人眠江に誘われて鹿島詣の旅に出て、五本松に立ち寄る。
五本松いづれの秋にやばせをの翁、河上と此河下と申されし松も今は只一本残て殊更になつかし
十人の月見の友や松ひとり 蓼太
『笘の宿』
明和8年(1771年)5月5日、諸九尼は江戸を立つにあたり、五本松にたたずんで句を詠んでいる。
かくて五本松 にしばらくたゝずミ、跡の名ごりのわすれがたうて、
涼しさも跡に袂をかへしけり
『秋風記』
五本松の句
深川舟逍遥
河上と此河下や月の友とはせを翁の申されし松もたゞ一本残れり。
十人の月見の友や松ひとり
『蓼太句集』(安永版)
月
栄路・山暉同舟、深川五本松にて
秋涼し月見をちぎる松がもと
『しら雄句集』
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