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私の旅日記2010年

二見浦〜夫婦岩〜
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伊賀 から国道25号(名阪国道)を行き、伊勢関ICで伊勢道に入る。

 地方高速道路の無料化実検で伊勢道は津ICから伊勢IC間が無料になった。

伊勢道伊勢ICから伊勢二見鳥羽ラインで二見浦へ。


二見浦は 日本の渚百選 に選ばれている。

興玉神社の鳥居前に 山口誓子の句碑 があった。


初富士の鳥居ともなる夫婦岩

二見浦の夫婦岩は、沖の海底にまします興玉神の鳥居である。昭和62年の正月、興玉神社に初詣をしたとき、宮司様から「今朝、夫婦岩の間に富士山が見えました」と聞いたので、それが直ちに句になった。神体山の富士山の鳥居にもなったのだ。

夫婦岩


二見浦に芭蕉の句碑があった。


うたがふな潮の花も浦の春

出典は 『いつを昔』 (其角編)。

二見の図を拝み侍りて」と前書きがある。

元禄2年(1689年)春、江戸で詠まれた句。

芭蕉46歳の時である。

 芭蕉は江戸元禄期の俳人で、伊賀上野の出身です。

 西行のゆかりを慕って二見浦にも足を運んでいます。

 この句は二見浦の春は、よそと違って夫婦岩に砕け散る波の花で、その到来を知ることができるが、それを疑うなと教えたものです。

西行 は晩年二見に庵を結び、7年間滞在したそうだ。

伊勢の二見の浦に、さる様なる女(め)の童どもの集まりて、わざとのこととおぼしく、蛤をとり集めけるを、いふ甲斐なき蜑人こそあらめ、うたてきことなりと申ければ、貝合せに京より人の申させ給たれば、選りつゝ採るなりと申けるに

今ぞ知る二見の浦のはまぐりを貝合せとて覆ふなりけり

   おなじこころを、伊勢の二見といふ所にて

波こすとふたみの松の見えつるは梢にかかる霞なりけり


 元禄2年(1689年)9月6日(陽暦10月18日)、芭蕉は 伊勢 の遷宮を拝みに 大垣 から舟で二見に向かった。

   二見

硯かと拾ふやくぼき石の露

杉風宛真蹟書簡

 元禄7年(1694年)9月21、其角は二見浦で句を詠んでいる。

岩の上に神風寒し花薄


 文化6年(1809年)9月、倉田葛三は九州行脚の途上、二見浦で句を詠んでいる。

青海苔のわすれぬ色や后の月


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