このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

岱水

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江戸深川の 芭蕉庵 の近くに住む。初め苔翠と称した。姓氏不詳。生年不祥。

芭蕉の句碑


雨をりをり思ふことなき早苗哉

岱水亭影待に」と前書きがある。

『蕉翁句集』 (土芳編)は「貞享四卯ノとし」とする。

 元禄5年(1692年)9月、 洒堂 は深川の 芭蕉庵 を訪れた。

      深川夜遊

青くても有へきものを唐からし
   はせを

提ておもたき秋のあら鍬
    洒堂

暮の月槻のこつはかたよせて
   嵐蘭

坊主かしらの先に立るゝ
   岱水


 10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で五吟歌仙。

   元禄壬申冬
   十月三日許六亭興行

けふはかり人もとしよれ初時雨
   ばせを

   野は仕付たる麦のあら土
    許六

油実を売む小粒の吟味して
    洒堂

   汁の煮(にえ)たつ秋の風はな
   岱水


 10月、江戸深川の支梁亭に招かれる。

   支梁亭口切

口切に境の庭そなつかしき
  芭蕉

笋見たき藪のはつ霜
   支梁

山雀の笠に逢ふへき草もなし
   嵐蘭

秋の野馬のさまさまの形り
   利合

旅人の咄しに月の明わたり
    洒堂

大戸をあけに出つる裸身
   岱水

水鷄のたま子の數を産そろへ
   桐奚

あらたに橋をふみそむる也
   也竹


 元禄6年(1693年)7月、史邦・芭蕉・岱水で三吟歌仙。

    三 吟

帷子は日々にすさまじ鵙の声
   史邦

 籾壱舛(升)稲のこき賃
   ばせを

蓼の穂に醤(ひしほ)のかびをかき分て
   岱水


 元禄6年(1693年)、9月中旬、岱水亭に影待の宴に招かれて句を詠んでいる。



影待や菊の香のする豆腐串

 芭蕉の句「生ながらひとつにこほる生海鼠哉」に岱水は「ほどけば匂ふ寒菊のこも」と付けている。

 元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸深川の庵をたち、上方へ最後の旅する。門人たちは 川崎宿 まで送り、送別の句を詠んでいる。

川崎宿(歌川広重『東海道五十三次』より)


   翁の旅行を川さきまで送りて

刈こみし麦の匂ひや宿の内
   利牛

   おなじ時に

麦畑や出ぬけても猶麦の中
    野坡

   おなじこゝろを

浦風やむらがる蠅のはなれぎは
   岱水


元禄13年(1700年)、岱水は芭蕉庵の翁七回忌で歌仙を巻く。

   某師の閑座をとひ来る小鳥ともあ
   はれみ給ふを思ひでて
岱水
枯庭に米くれられし雀とも

墨の付たるふるき小蒲團
   利合


宝永元年(1704年)、『木曾の谿』(岱水編)刊。

岱水の句

浦風やむらがる蠅のはなれぎは


手の下にしるやいなごのちからあし


煤の手に一歩を渡す師走哉


桃の花見るや三つ葉のひたしもの


起々の心動すかきつはた


夢になる夢や葉にして枯野塚

梅咲てなをうこかすや馬の花


麥のほやけふは働かぬうらの波


雨戸挽音や東に三かの月


鶏頭に双ぶや寺の一旦那


喰つみや木曾の匂ひの檜もの


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