このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉ゆかりの地
〜旧新大橋跡〜
要津寺
から清澄通り沿いに歩き、万年橋通りを行くと、芭蕉記念館の先に旧新大橋跡の碑がある。
旧新大橋跡
元禄6年(1693年)12月、この地先の隅田川に旧新大橋は架設竣工。長さ100間、幅員3間7寸。
芭蕉は深川大橋が建設中に句を詠んでいる。
深川大橋半ばかかりける頃
初雪や懸けかかりたる橋の上
『芭蕉庵小文庫』
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄五甲
(ママ)
ノとし」とする。
やがて完成して、その渡り初めを見た芭蕉はその喜びを詠んでいる。
新両国の橋かかりければ
皆出でて橋を戴く霜路哉
『泊船集書入』
この句は
大川端芭蕉句選
の1つにある。
深川大橋、成就せし時
有がたやいたゞいてふむ橋の霜
『芭蕉句選』
両国橋より川下の方、浜町より深川六間堀へ架す。長さ凡そ百八間あり。この橋は元禄六年癸酉、始めてこれをかけ給ふ。両国橋の旧名を大橋と云ふ。故にその名によつて新大橋と号けらるゝとなり。
『風羅袖日記』
元禄五申年の冬、深川大橋なかばかゝりけるとき
初雪やかけかゝりたるはしのうへ
芭蕉
同じく橋成就せし時
ありがたやいたゞいて踏むはしの霜
同
『江戸名所図会』
(新大橋)
与野の俳人
鈴木荘丹
は新大橋の辺りを散歩して句を詠んでいる。
まつ宵と標零
(澪標カ)
見ゆるうしほかな
『能静草』
芭蕉稲荷神社
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