このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句


やすやすと出でていざよふ月の雲

出典は 『笈日記』 (湖南部)。

 元禄4年(1691年)8月16日、前夜の 義仲寺 に於ける月見の俳座に引き続き、十六夜の月を賞すべく、芭蕉は数名の門人と舟で堅田に赴き、門人竹内茂兵衛成秀の家に遊んだ。前夜にもまして盛況だったこの夜の俳席の様を 「堅田十六夜の弁」 として記し、成秀に贈っている。

 平成6年3月 大津市

芭蕉48歳の時である。

   元禄四年

やすやすと出ていさよふ月のくも
   はせを

舟をならへておき渡す雲
   成秀

ひらめきて咲も揃ハぬ萩のはに
    路通

鍋こそけたるおとのせはしさ
    丈艸

とろとろとねむれハ直る駕のよひ
    惟然

城とりまハすゆふ立のかけ
   狢睡

 宮城県利府町の 八幡神社

 群馬県玉村町の 玉村八幡宮

 千葉県君津市の 神野寺 に句碑がある。

八幡神社の句碑



玉村八幡宮の句碑
   
神野寺の句碑

   


滋賀県大津市に 「堅田十六夜の弁」の俳文碑 がある。


堅田十六夜の弁

 望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人の家のうしろに至る。 「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆(ささげ)あり。 鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ」と、岸上に櫂をならべ筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。 かねて聞く、仲秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。 とかく言ふほどに、月三竿にして黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。 やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川に至らんとす。

錠明けて月さし入れよ浮御堂

やすやすと出でていざよふ月の雲

『芭蕉庵小文庫』 に収録。

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