このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉ゆかりの地


〜芭蕉時雨塚〜

  両国小学校 から清洲通りを行くと、新大橋通りの交差点近くに長慶寺がある。


長慶寺


正確に言うと、 曹洞宗 蟠龍山天壽院長慶寺。

長慶寺に芭蕉時雨塚がある。

『諸国翁墳記』 に「發句塚 江戸深川長慶寺在 其角・嵐雪建」とある。

 元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉は大坂 南御堂 前花屋仁右衛門宅で死去。

   病中吟


旅に病で夢は枯野をかけ廻る
   翁


 江戸蕉門の杉風、 其角嵐雪史邦 等は芭蕉を偲び、芭蕉の落歯と芭蕉自筆の「世にふるも更に宗祇のやどり哉」の短冊を長慶寺境内に埋め、塚を築いた。

十二日は阿叟の忌日つとむるとて、桃隣をいざなひて、深川長渓(慶)寺にまうで侍る。是は阿叟の生前にたのみ申されし寺也。堂の南の方に新に一箕の塚をきづきて、此塚を発句塚といへる事は

世の中は更に宗祇のやどり哉
   翁

此短冊を此塚に埋めけるゆへ(ゑ)なり。此ほつ句はばせを(う)庵の一生の無ゐなるべしと、杉風のぬし、語り申されし。


  手つから雨の侘笠をはりて

世にふるもさらに宗祇のしくれ哉

此句五文字を世の中と 笈日記 にはしるさける筆の誤なるべし 虚栗 の比也


○世にふるも更に宗祇のやどり哉

此句 笈日記 ニ、世の中と有。 白船 ニ時雨哉と有。いづれも違也。


この塚が芭蕉時雨塚。


 碑の表面には「芭蕉翁桃青居士」、裏面に「元禄七甲戌年十月十二日」と刻まれていたらしい。

深川森下町蟠竜山長慶寺中 椎の木の中の茂の内在入口に枝折戸 傍に制札あり其文に曰

   条々

 一花もみち折とるへからさる事

 一木履はくへんらさる事

 一折戸外へ開くへからさる事

     月日

時雨墳

碑陰

 元禄七甲戌年 十月十二日


 芭蕉の句「世にふるも更に宗祇のやどり哉」は天和2年(1682年)、芭蕉39歳の句。

宗祇 の「世にふるも更に時雨のやどり哉」の本歌取りだそうだ。

箱根の 早雲寺 に宗祇の句碑がある。

小林一茶 は何度か長慶寺の翁塚を訪れている。

大正12年の関東大震災で罹災。

「芭蕉翁句塚」と「宝晋斎其角墓」は再建された。



戦災で再び失われ、現在では台座の一部が残っているだけ。


芭蕉翁句塚
 
宝晋斎其角墓

 『東都古墳志』によれば、芭蕉翁句塚、宝晋斎其角墓の他に「玄峰 嵐雪 居士」、「麦林舎 乙由 居士」、「守黒菴眠柳居士」、「松籟庵太無居士」、「二世松籟庵霜後居士」の6基が長慶寺に建てられたとある。

「短冊」は埋めてしまったが、「句文懐紙」は 山寺芭蕉記念館 に収蔵されている。

世田谷区北烏山の 称往院 にも其角の墓がある。

其角の本当の墓は伊勢原市の 上行寺 にある。

霊巌寺 へ。

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