このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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称往院
〜其角の墓〜
世田谷区北烏山に其角の墓があるというので、行ってみた。
京王線千歳烏山駅から商店街を抜け甲州街道を越えて行くと、烏山寺町。震災復興のための区画整理で浅草、築地、本所などから寺が移転してきた。現在は26のお寺が集まっているそうだ。
烏山寺町に称往院があった。
一心山極楽寺称往院(浄土宗)
当寺は慶長元年(1596年)白誉称往上人により湯島に創建されたが、
明暦の大火
で浅草に、さらに
関東大震災
により昭和2年当地に移転した。
本尊は丈六の阿弥陀如来である。浅草のころ当寺は、寺内の道光庵庵主のつくるそばが有名となり「そば切り寺」として知られたが、修行の妨げになるとして天明6年(1786年)「そば禁制」の碑が当寺住職により建てられた。
この碑は同庵にあった俳人
宝井其角
の句碑・墓とともに現在、当寺に残されている。
平成4年3月
世田谷区教育委員会
「そば禁制」の碑
不許蕎麦入境内地中製之而乱当院之清規故
一心山極楽寺称往院
浄土宗
の寺である。
本堂の左に其角の句碑があった。
夕立や法華かけこむ阿弥陀堂
『五元集拾遺』
収録の句。
称往院は其角の父東順の墓所。
元禄6年(1693年)8月29日、東順72歳で死去。
其角の墓が東順の墓と並んで建っていた。
寳晋斎其角居(士) 東順居(士)
江東区森下の
長慶寺
にも其角の墓がある。
其角の本当の墓は伊勢原市の
上行寺
はある。
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