このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
ひよろひよろとなほ露けしやをみなへし
JR武蔵野線西国分寺駅から府中街道を行くと、国分寺市西恋ヶ窪に熊野神社がある。
熊野神社
主祭神は伊弉諾大神・伊弉冊大神。
元弘建武の頃(1331年)、
新田義貞
鎌倉勢と戦の時、兵火に消失したという。応永年間(1394年)社殿再建。文明18年(1486年)5月聖護院
道興准后
御東行の砌、「朽ちはてぬ名のみ残れる恋ヶ窪今はた訪ふも知記りならずや」の御歌奉額あり。天正18年(1590年)社殿奉額共に兵火に消失したという。
熊野神社に芭蕉の句碑があった。
ひよろひよろとなほ露けしやをみなへし
出典は
『更科紀行』
。
貞亨5年(1684年)8月、芭蕉45歳の時である。
ひよろひよろと猶露けしや女郎花
續古今集「何ことをしのふの岡のをミなへし思ひしほれて露けかるらむ」
『芭蕉句解』
ひよろひよろとなほ露けしや女郎花
一書に、続古今集に
なにごとをしのぶが岡のをみなへし
おもひしほれて露けかるらむ
『芭蕉翁句解参考』
『笈日記』
(支考編)に「
ひよろひよろとこけて露けし女郎花
」とある。
○ひよろひよろとなほ露けしや女郎花
此句みのゝくにより更科の月に旅立侍る時也。
笈日記
にハこけて露けしと有。違也。
『蕉翁句集草稿』
ひよろひよろと猶露けしや女郎花
はせを
こんにやくかひに行朝の月
『幽蘭集』
明治7年(1874年)8月、寶雪庵可尊建立。
明治12年(1879年)、
『故郷碑』
(宝雪庵可尊輯)。
可尊の句碑もあった。
月花の遊びのゆかむいざさらば
寶雪庵可尊(坂本八郎兵衛)は、明治19年(1886年)に88歳で亡くなったが、その辞世の句を門人たちが明治30年(1897年)に建てたもの。
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