このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


人も見ぬ春や鏡乃うらの梅

名古屋市中区大須に清浄寺という寺がある。


浄土宗 鎮西派の寺である。

 清浄寺は小林城跡。尾張の守護斯波氏の一族である牧長清が居城し、前津小林四千石を領した。長清の死後廃城となり、元禄年中(1688〜1704)清浄寺が建てられたそうだ。

清浄寺は尾張六地蔵2番札所。

矢場地蔵堂


矢場地蔵堂の裏に3基の句碑が並んでいた。


中央に芭蕉の句碑。


人も見ぬ春や鏡乃うらの梅

出典は 『己が光』 (車庸編)。

元禄5年(1692年)の歳旦句。

 安永2年(1773年)10月12日、芭蕉八十回忌に一筆坊が建立。『芭蕉翁鏡塚』を出版。

『諸国翁墳記』 に「尾張前津清浄寺アリ 一筆坊連中立」とある。

左側に「はせを」の句碑。


盆過て宵闇くらしむしの声

出典は 『泊船集』

何れの年にや未知。小文庫、泊船集にも見えたり。

『芭蕉句選年考』

『蕉翁句集』『芭蕉翁發句集』『風羅袖日記』 は「元禄四未年」の句とする。

『芭蕉翁句解参考』 (月院社何丸)にも収録されている。

   盆過ぎて宵闇くらし虫の声

盆過ての宵闇と聞くも絶がたくさびしきさまを述て、くらしと重ねし所切々と悲し


『芭蕉庵小文庫』 に「はせを」とあるが、「尼松山」の句の 誤伝 だそうだ。

   心々にものやかなしきとよめる式
   部はいかなる時にか有けん

盆過の宵闇悲し虫の聲
 松山


 「心々にものやかなしき」は和泉式部の「鳴く虫のひとつ声にも聞こえぬは心々にものやかなしき

寛政11年(1799年)7月、反喬舎二世殘雪坊門人東呉・南稽・素流建立。

東呉は 大野村 の大庄屋九世平野彦左衛門秀楨。

右側に榎本馬州の句碑。


山々に笑ハ勢てふしの高根かな

寛政5年(1793年)、建立。

馬州は尾張名古屋藩家老成瀬家の家臣。沢露川の門人。別号白梵庵。

すこし離れて巴雀と白尼の句碑があった。


梅咲いて春も落ちつく景色かな
   巴雀

梅咲いて先佛へと思ふかな
   白尼

 巴雀は尾張名古屋の紙商。 中川乙由谷木因 に俳諧を学ぶ。別号反喬舎。白尼は巴雀の子。

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