このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
常世田長翠ゆかりの地
〜浄徳寺〜
酒田市中央東町に浄徳寺という寺がある。
浄徳寺
浄土宗
の寺である。
加舎白雄の門人河道は浄徳寺十七世俊栄和尚。残露庵。
享和2年(1802年)、
常世田長翠
は小蓑庵を
中村碓嶺
に譲り、浄徳寺門前に胡床庵を営み酒田に居住。
文化10年(1813年)8月12日、長翠没。
文化14年(1817年)5月5日、
松窓乙二
は浄徳寺に墓参。
長翠佛苗五寸を見て。白川を越しより。予が庵を出羽のゆきゝの中やどりとして莎鷄の聲に草鞋をとき。はじめていく度といふもしられず。あるは松島の初日を詠葛のまつ原に櫻さくかたを枕と。覺英僧都を想像し。忍ぶ山には秋の日の暮ても。くれぬその願をしのびしも。今は昔のかたみぐさと成ぬ。予もさいつとしはこだてに病て。身は老命は露ながら。いまだ歩行神のはなれず。この塚に來て涙をこぼすは。獨りにしまぬ葉の上に向あはするも。遠からずとおもへば。
松ぞ散るひとり言いふ膝のうへ
『松窓乙二発句集』
「莎鷄
(ぎす)
」は、きりぎりす。
天保4年(1833年)、
碓嶺
は浄徳寺で墓参をしているようである。
『をばながさ』
本堂の左手前に常世田長翠の墓碑があった。
天保8年(1837年)8月、造立。
没後24年に造立されたものである。
長翠は丸山派の絵をよくし、椿梅と号した。
酒田市立資料館に常世田長翠筆、
松窓乙二
賛の山水俳画が残されている。
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