このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
2019年の旅日記
音戸の瀬戸公園
〜吉川英治文学碑〜
呉市警固屋に音戸の瀬戸公園がある。
明治29年(1896年)4月、
高浜虚子
は音戸の瀬戸を訪れている。
音戸瀬戸
瀬戸を擁く陸と島との桃二本
『五百句時代』
音戸の瀬戸公園に吉川英治文学碑があった。
君よ今昔之感如何
昭和38年(1963年)5月3日、除幕。
昭和25年12月25日、日本を代表する文豪吉川英治氏が、氏の代表作のひとつに数えられる「新平家物語」の取材のためにこの地を訪れた際に残した感懐である。
「君よ今昔之感如何」
これを富士形の石に刻み、平清盛になぞらえた円形の石とともに配し、都と
厳島神社
の航路の近道として平清盛により切り開かれたとの伝承もある音戸の瀬戸を眺めるこの場所に建立されたものです。
建立にあたっては、吉川文子夫人の監修と、「新平家物語」の挿絵を描いた杉本健吉画伯の指導にあずかって、清盛塚と音戸の瀬戸を真下に望むこの音戸の瀬戸公園の一角にすえられることとなりました。
音戸の渡し
音戸の瀬戸70mを片道3分で結ぶ日本一短い定期航路だそうだ。
音戸大橋
「瀬戸内オーシャンスパ汐音」に平清盛日招像があった。
「平清盛日招像」
「返せ、戻せ」と高く金扇を掲げる平清盛
呉には開削が困難とされた音戸の瀬戸を清盛が一日で切り開いたとされる「日招き伝説」が残ります。
今や西に沈まんとする夕日に向かって金扇をかざし、再び太陽を招き返したという伝説は、清盛の権勢がいかに強大であったかを、今に語り継いでいます。
当時はこのような難工事に人柱をたてて工事の完成を祈願していましたが、人命を尊ぶ清盛は、人柱に代えて経石を沈めて工事を完成させたと言われています。
こうした音戸の瀬戸開削800年を記念して昭和42年音戸の瀬戸公園にこの像は建立されました。
本物の「平清盛日招像」は西日本豪雨災害により通行止めで、行けない。
「瀬戸内オーシャンスパ汐音」から海を見下ろす。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください