このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
五稜郭タワー
〜土方歳三の像〜
五稜郭タワーに土方歳三の像があるというので、行ってみた。
五稜郭に立つ 土方歳三
天保6年(1835年)、武州多摩の豪農の家に生まれた土方歳三は、文久3年(1863年)幕府が募集した浪士隊に近藤勇らと参加し、尊王攘夷の嵐が吹き荒れる京都で新選組を結成、「池田屋事件」 などの討幕派浪士に対する徹底した取締まりと同時に、「鬼の副長」として新選組隊士を厳しく統率し恐れられた。
鳥羽伏見の戦いや甲州勝沼の戦いでの敗北、さらに新撰組局長であり盟友である近藤勇が処刑された後も、宇都宮、会津と戦い続け、榎本武揚率いる旧幕府艦隊に仙台で合流し蝦夷地に渡った。ここ
五稜郭
を本拠地とした旧幕府軍による暫定政権、いわゆる「蝦夷共和国」では、陸軍奉行並・箱館市中取締の要職を務めた。
箱館での土方は、「人に慕われることは、あたかも赤ん坊が母親を慕うかのようだ」と伝えられるほど温厚で、明治2年(1869年)春からの新政府軍による攻撃に際しては、自ら最前線で兵を励まし奮戦し、押し寄せる敵を撃退した。
しかし明治2年5月11日、新政府軍の総攻撃により孤立した友軍を援護するために出撃したが、
一本木関門
で銃撃を受け35年の生涯を閉じた。
この像は、旧幕府軍が蝦夷地から一時的に新政府の勢力を駆逐し、暫定政権を樹立した明治元年12月15日、戦場から凱旋した土方歳三が、乗馬用の鞭を片手に五稜郭に降り立った姿を再現したもので、函館出身の彫刻家、小寺眞知子さんの作品です。
また展望2階には、小寺さん制作による座像「土方歳三之像」が設置されております。
小寺眞知子(1950〜2012)さんは函館市出身。北海道教育大学美術科彫塑課程卒業。
展望2階の座像「土方歳三之像」は見なかった。
薩長先遣隊
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