このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
納沙布岬
〜本土の最東端〜
風連湖
から納沙布岬へ。
本土の最東端納沙布岬
実際の本土の最東端は、納沙布岬灯台である。
納沙布岬灯台
〜本土の最東端の灯台〜
日本は、古来より「日出ずる国」とされてきましたが、納沙布岬は本土最東端の地で1番早く朝日が昇ります。
納沙布岬灯台は、明治5年(1872年)に北海道で最初に設置した灯台(木造)で、昭和5年(1930年)に現在のコンクリート造に改築されました。
光のエネルギー源は、石油からアセチレンガスを経て電気に変わりましたが、光を放つ四等レンズだけは当時のままです。
この施設の異常を発見したときや、その他何かお気づきの点がございましたら、根室海上保安部までお知らせください。
返せ北方領土
富山歩兵第三十五聯隊第二大隊基幹
北方派遣軍千島國後島守備松野部隊
寛政の蜂起和人殉難碑
寛政元年(1789年)5月、和人のアイヌ民族に対する脅迫や非道行為によって追い詰められた結果、国後島と現在の標津町、羅臼町付近のアイヌ民族が和人71人を殺害した。この出来事は「クナシリ・メナシの戦い」と呼ばれ、最終的にノッカマップ(根室市牧の内)で戦いに関わったアイヌ民族37人が和人によって処刑された。
この墓碑は、殺害された和人71人の供養のために文化9年(1812年)に造られたもので、明治45年、納沙布岬に近い珸瑶瑁の海中で発見されたという。現地に保存されていたが、昭和43年、国後島を臨むこの地に移設された。
(中 略)
墓碑裏面には、、和人の視点からアイヌ民族が不意に襲ってきたとあるが、和人が殺害された原因はアイヌ民族への迫害が原因であり、石碑の内容と史実は異なる。
管理者 根室市教育委員会
橋本徳壽の歌碑
山三山氷海をぬきてなほしろしひとつの島の山とこそきけ
橋本徳壽
明治27年(1894年)〜平成元年(1989年)
明治27年(1894年)9月15日、横浜生まれ。短歌は古泉千樫に師事。千樫没後、昭和2年歌誌「青垣」を創刊、編集発行人となる。船舶関係の著書等多数ある。
四島のかけはしと祈りの火
観光バスでやってくる。
四島
(しま)
のかえる日 平和の日
歯舞群島の貝殻島灯台は先程まで見えていたそうだが、急に霧が出て見えなくなった。
日本本土に最も近い北方領土の島である。
納沙布岬は「北方領土」一色だった。
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