このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
鹿子畑翠桃邸跡
西教寺
から畑の中の道を行くと、鹿子畑
(かのこはた)
翠桃邸跡がある。
鹿子畑翠桃邸跡
現在は水田と化し、墓地のみが残っている。
元禄2年(1689年)4月3日(新暦5月21日)、芭蕉は余瀬に住む門弟の鹿子畑翠桃(豊明28歳)を訪ねた。翠桃は、黒羽の館代
浄坊寺桃雪
の弟。
一 同三日
鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
『曽良随行日記』
奈須余瀬
翠桃を尋て
秣おふ人を枝折の夏野哉
芭蕉
青き覆盆子
(いちご)
(を)こぼす椎の葉
翠桃
村雨に市のかりやを吹とりて
曾良
町中を行川音の月
はせを
『俳諧書留』
4月4日(新暦5月22日)
浄坊寺桃雪
に招かれたが、4月11日(新暦5月29日)再び翠桃宅に帰った。
一 十一日
小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。
『曽良随行日記』
4月15日(新暦6月2日)、再び浄坊寺桃雪邸へ。
一 十五日
雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ被参。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参。
『曽良随行日記』
近くの農家で柿をつるして干していた。
「
秣おふ人を枝折の夏野哉
」の句碑へ。
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