このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』


曾良の句碑

かさねとは八重なてしこの名なるへし

国道4号から矢板市の中北で県道52号矢板馬頭線に入る。

矢板市沢に沢観音寺がある。


観音菩薩像


本尊の千手観音菩薩像は60年に一度開帳される秘仏だそうだ。

石段の上に本堂がある。


補陀洛山観音寺


下野三十三観音霊場第8番札所、 真言宗智山派 の寺である。

本堂左手奥に曽良の句碑があった。


かさねとは八重なてしこの名なるへし

 元禄2年(1689年)4月3日(新暦5月21日)、芭蕉は矢板から沢村を通り余瀬に住む門弟の 鹿子畑翠桃 (豊明28歳)を訪ねた。

 ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、  かさねとは八重撫子の名成べし 曽良

   一 同三日

 鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。

『曽良随行日記』

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