このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
草加
〜百代橋〜
草加の
「矢立橋」
から「百代橋」へ歩く。
「百代橋」
「橋名由来」の碑があった。
橋名由来
月日は百代の過客にして
行かふ年も又旅人なり
松尾芭蕉「奥の細道」
「百代橋」を過ぎると、「松尾芭蕉文学碑」があった。
ことし、元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日、漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物先くるしむ。
只身すがらにと出立侍るを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそ、わりなけれ。
西村本『おくのほそ道』より
水原秋桜子の句碑
があった。
草紅葉草加煎餅を干しにけり
『秋櫻子句集』(昭和6年12月刊)抄に収録の句。
俳人
水原秋桜子
には草加の地名を読み込んだ作品が4句あった。
いずれも昭和初期の作句である。
その中から煎餅の句を選んで刻む。
草加ペンクラブ
水原秋桜子文学碑建立委員会
平成13年11月23日
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