このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜東北〜
〜日本の道100選“おくのほそ道”〜
JR東北本線一ノ関駅西口を出ると、一関駅前交差点がある。
以前はショッピングデパート千葉久があったそうだが、今では跡形もない。
一関駅前交差点に「おくのほそ道・芭蕉の辻」の碑があった。
昭和57年8月、建立。
昭和63年4月、倒壊。
同年7月31日、再建。
隣に「日本の道100選“おくのほそ道”」の碑があった。
昭和61年8月10日“道の日”制定の記念事業として建設省が「
日本の道100選
」に「芭蕉行脚の道」から一関市を選定しました。元禄2年(1689年)3月江戸を出発し、9月6日美濃大垣まで、150日約600里の行程中、5月12、13日の両日、一関に宿泊しました。
十二日、一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。
十三日、天気明。巳ノ尅ヨリ
平泉
ヘ趣。……。宿ス。『曽良随行日記』
翌14日、「南部道遥にみやりて、……。」と
松山街道
(現市道岩ヶ崎線)を一路
岩出山
に向かいました。私たちは俳聖芭蕉、同門人河合曽良の偉大な足跡を後世に伝え、日本の道100選選定を記念して、この石碑を建立します。
私は芭蕉が平泉に泊まったものとばかり思っていた。
一関が奥州最北の宿ということになる。
嘉永5年(1852年)3月14日、吉田松陰は
中尊寺
から一関へ。
山目を經て岩井橋を渡り、一關に宿す。田村右京大夫三萬石の都なり。行程十三里。
『東北遊日記』
『奥の細道』
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