このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜東北〜
〜美豆
(みづ)
の小島〜
東北自動車道古川ICから国道47号(北羽前街道)に入る。
鳴子温泉に向かう途中、「小黒ヶ崎」とあった。
何気なく通り過ぎると、「おくのほそ道 美豆の小島」の小さな案内があった。通り過ぎると、また「美豆の小島」の案内があった。
二度も案内があっては、立ち寄らなくては。
国道47号(北羽前街道)から左の細道に入る。
『古今和歌集(』巻第20)東歌の歌碑がある。
をぐろ崎みつの小島の人ならば都のつとにいざといはましを
南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎みづの小嶋を過て、なるこの湯より、尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。
元禄2年(1689年)5月15日(陽暦7月1日)、芭蕉と曽良は尿前の関に向かう途中、歌枕「美豆の小島」に立ち寄った。
「美豆の小島」は『続古今和歌集』にも出てくる歌枕だと書いてあった。
をぐろ崎みつのこじまにあさりする田鶴ぞなくなり波たつらしも
四条天皇
人ならぬ岩木もさすが恋しきは美豆の小島の秋の夕暮れ
順徳院
『小倉百人一首』の100番目が順徳院の和歌だった。
ももしきやふるき軒ばのしのぶにもなほあまりある昔なりけり
美豆の小島
江合
(えあい)
川の河原に小島が浮かぶ。
○此間、小黒崎・水ノ小島有。名生貞(名生定)ト云村ヲ黒崎ト所ノ者云也。其ノ南ノ山ヲ黒崎山ト云。名生貞ノ前、川中ニ岩島ニ松三本、其外小木生テ有。水ノ小島也。今ハ川原、向付タル也。古ヘハ川中也。(曽良随行日記)
『曽良随行日記』によれば、芭蕉が訪れた頃、「小島」は向こう岸に接していたらしい。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は小黒崎・水の小島を通っている。
此所より下宮と云村へ出る。さきは鍛冶屋沢、此間ニ小黒崎・水のをじま
(小島)
アリ。
[無都遅登理 五]
現在の松は、明治43年(1910年)の大洪水で流出したため、土地の人々が修復し、歌枕を蘇らせたもの。
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