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『奥の細道』
〜東北〜
『陸奥鵆』
[無都遅登理 五]④
元禄9年(1696年)、
天野桃隣
が芭蕉三回忌にあたって『奥の細道』 の跡をたどった紀行文。
元禄10年(1697年)8月、
素堂
跋。
天野桃隣は平泉から
達谷窟
を訪れている。
毘沙門堂
是ヨリ達谷が窟、岩洞ノ深
サ
十間余アリ。此洞に二階堂、八間
ニ
九間と見えたり。多門
(聞)
天安置
ス
。不断鎖テ人不入。大同二年田村丸建立と縁記
(起)
に有。所は高山幽谷にして、人倫絶たる辺土、いか成鬼か住捨て、旅人尋入て道に迷ふ。此所より山の目と云へ出、又一ノ関通リ金成村へ出る。此村一里脇に、つくも橋アリ。
梶原平次兼高
陸奥の勢は味方につくも橋
わたしてかけんやすひらが首
行
ケ
ば沢辺村十五丁南、川向にあねはの松アリ、則此辺栗原と云。宮野・築館・高清水、段々宿を来て、荒野と云宿、西北ニアタリ朽木橋アリ。栗駒山則伊沢郡ノ内也、此辺よりは見ゆる也。峯高、水無月の雪猶白し。
○朴木の葉や幸のした涼
天野桃隣は
古川の宿
で1泊。
古川と云宿に来て、秋山寿庵に所縁アリ、尋入て一宿。
○暑き日や神農慕ふ道の艸
緒絶橋、此古川の町内ニアリ。此橋の名、爰かしこにありて、以上四つは覚えたり。何も故有事にや。小町塚アリ。仙台名寄を見れば、中納言廷
(延)
房卿・西行法師、両説には、当国此所と有。髑髏の説は当国八十嶋と有。此嶋有所不知。
天野桃隣は
磐提山
(いわでやま)
を訪れて、句を詠んでいる。
芭蕉像。
是より岩手へかゝる。磐提山、則城下の名也。いはでの関此所なり。
為家の山梔
(くちなし
)白し磐提山
桃隣は
小黒崎
・
水の小島
を通っている。
小黒崎
美豆の小島
此所より下宮と云村へ出る。さきは鍛冶屋沢、此間ニ小黒崎・水のをじま
(小島)
アリ。
桃隣は小黒崎・水の小島から
鳴子温泉
を通っている。
是より鳴
(ナキ)
子の温泉、前ニ大川綱渡し、彼十つなの渡し是成やと、農夫にとへどもしらず。
「
十つなの渡し
」は
飯坂温泉
にある歌枕。鳴子の農夫にきいても分からない。
桃隣は
尿前の関
を通っている。
尿前の関跡
川向
ニ
尿前と云村アリ。則しとまへの関とて、きびしく守
ル
。
山路吟
○おそろしき谷を隠すか葛の花
○焼飯に青山椒を力かな
桃隣は
尾花沢
を通りがかる。
芭蕉・清風歴史資料館
是より尾花沢にかゝり、息を継んとするに、心当たる方留守也。
桃隣は尾花沢を過ぎて
大石田
で休息、酒田へ下る。
最上川
一のしに大石田へ出て加賀屋が亭に休足。爰より坂田への乗合を求下ル。
桃隣は大石田から最上川を下り、
白糸の滝
で句を詠んでいる。
白糸の滝
爰より彼最上川、聞及たるよりも、川幅広く水早し。左右の山続に滝数多アリ。中にも白糸の滝けしきすぐれたり。
○短夜を二十里寐たり最上川
○しら糸の滝やこゝろにところてん
桃隣は
清川関所
のことを書いている。
芭蕉像
此川筋坂田迄二十一里、川の中、船関四ヶ所アリ。尤大石田宿よりの手形、右の所々にて入
ル
。能聞繕乗べし。なぎ沢・清水・古口・清川、此四所なり。
桃隣は
象潟
を訪れて句を詠んでいる。
象潟
松嶋・象潟両所ともに感情深、其俤彷彿タリ。倭国十二景の第一第二、此二景に限るべし。
○きさかたや唐をうしろに夏構
○能因に踏れし石か苺
(こけ)
の花
芭蕉に供せられ曽良も此地に至りて
○波こさぬ契りやかけしみさごの巣
元禄9年(1696年)、天野桃隣は
象潟
から
酒田
へ戻る。
芭蕉像
此所より右の道筋を坂田へ戻る。尤此所より津軽・南部・越後筋へ順よし。
6月15日、天野桃隣は羽黒山祭礼を見て句を詠んでいる。
出羽三山三神合祭殿
六月十五日は羽黒山祭礼、三所権現神輿御出、鉾幡・傘鉾計ニテ、境内纔一丁計廻
リ
、其儘本社へ入せ給ふ。繕はぬ古例、謂
レ
有事とや。近郷挙テ詣
ス
。
○五十間練
ル
を羽黒のまつり哉
○吹螺に木末の蝉も鳴止ぬ
桃隣は羽黒山五重塔を見ている。
羽黒山五重塔
遙に見れば五重の塔、是は鶴ヶ岡城主建立たり。別当は若王
(やくわう)
寺、高山の岨
(そば)
を請ておびたゞしき一構、風景いふに及ず。
桃隣は
月山
に詣でる。
月山山頂
湯殿山へ登るに、麓は青天、山は雨、漸
(やうやう)
月山
ニ
詣て、雪の巓牛が首と云岨に一宿。
桃隣は月山から
湯殿山奥院
を参詣し、句を詠んでいる。
早天湯殿奥院へ詣
ス
。諸国の参詣、峯渓に満々て、懸念仏は方四里風に運び、時ならぬ雪吹
(ふぶき)
に人の面見えわかず、黄成息を吐事二万四千二百息。
○大汗の跡猶寒し月の山
○山彦や湯殿を拝む人の声
曽良登山の比
○銭踏て世を忘れけり奥院
「懸念仏」は夏行
(げぎょう)
して唱える念仏。
桃隣は湯殿山から山形に出、
万松寺
を訪れて句を詠んでいる。
万松寺佛殿
しづと云へかゝりて、山形の城下へ出
ル
。此所より廿丁東、チトセ山を
(お)
のづから松一色にして、山の姿円
(まどか)
なり。梺
二
大日堂・大仏堂、後の梺
二
晩鐘寺、境内に実方中将の墓所有。仏前の位牌を見れば、
当山開基右中将四位下光孝善等
あこやの松、此寺の上、ちとせ山の岨
(そば)
に有けるを、いつの比か枯うせて跡のみ也。はつかし川は、ひら清水村の中より流出る。ちとせ山の梺也。
○秋ちかく松茸ゆかし千歳山
最上市
○野も家も最上成けり紅の花
桃隣は
山寺
を訪れ、句を詠んでいる。
芭蕉像
宝珠山、阿所川院、立石寺
所ノ者は山寺と云
。城下ヨリ三里、慈覚大師開基。
○閑さや岩にしみ入
ル
蝉の声
芭蕉
○山寺や岩に負
ケ
たる雲の峰
桃隣
天野桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅の帰途で
桑折
の田村不碩宅に足を休めている。
是より段々出て桑折に着
ク
。田村何某の方に休足。
仙台領宮嶋の沖より黄金天神の尊像、漁父引上
ゲ
、不思儀
(議)
の縁により、此所へ遷らせたまひ、則朝日山法円寺に安置し奉
ル
。忽の御奇瑞に諸人挙て詣
ス
。まこと所は辺土ながら、風雅に志
ス
輩過半あり。げに土地清浄、人心柔和なるを神も感通ありて、鎮座し給ふとは見えたり。農業はいふに及ず、文筆の嗜
ミ
、桑折にとゞめぬ。
天神社造立半
○石突に雨は止たり花柘榴
朝日山法圓寺
7月、天野桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅の帰途で
須賀川
に2泊し、
諏訪明神
へ参詣して句を詠んでいる。
神炊館神社
須ヶ川に二宿、等躬と両吟一卷満ぬ。所の氏神諏訪宮へ参詣、須田市正
(いちのかみ)
秀陳饗応。
○文月に神慮諫ん硯ばこ
桃隣は須賀川から
白河
にさしかかり、句を詠んでいる。
又こゆべきと、白河にさしかゝり、
○しら露の命ぞ関を戻り足
桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅の帰途、
遊行柳
を訪れ句を詠んでいる。
遊行柳
遊行柳芦野入口一丁右へ行、田の畔
(くろ)
に有。不絶清水も流るゝ。
○秋暑しいづれ芦野ゝ柳陰
桃隣は
宇都宮二荒山神社
に登り、句を詠んでいる。
宇都宮二荒山神社の石段
宇津宮へかゝり、社頭に登て叩首
(ぬかづく)
に、額日光宮と書リ。二荒を遷敬し奉る
(り)
けるにや。
○笠脱ば天窓撫行一葉哉
7日、桃隣は
小山
に泊まり、七夕の句を詠んでいる。
城山公園
小山に宿
ス
。七夕の空を見れば、宵より打曇、紅葉の橋も所定めず、方角を知べきとて、月を見れば影なし。力なく宿を頼、三寸
(みき)
求め、牽牛・織女に備へ、間なくいたゞきてまどろみぬ。
○又起て見るや七日の銀河
桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅を終え、
浅草寺
に参詣して句を詠んでいる。
浅草寺本堂(観音堂)
浅草に入て、はや江戸の気色、こゝろには錦を着て編綴
(へんてつ)
の袖を翻し、観音に詣
ス
。
○手を上
ゲ
て群集
(ぐんじゆ)
分
ケ
たり草の花
ばせを老人の行脚せしみちのおくの跡を尋ねて、風雲流水の身となりて、さるべき処々にては吟興を動し、他の世上のこゝここゞろを撰
(えらみ)
そへて、『むつちどり』と名付らる。其人は武陽の桃隣子也。予がむかし、かならず鹿嶋・松島へといへるごとく、己を忘れずながら年のへぬれば、夕を秋の夕哉といひけむ、松島の夕げしきを見やせまし、見ずやあらまし。みちのおくはいづくはあれど松島・鹽竈の秋にしくはあらじ。花の上こぐ海士の釣舟と詠じけるをきけば、春にもこゝろひかれ侍れど、なを
(ほ)
きさかたの月、宮城野の萩、其名ばかりをとゞめを
(お)
きけむ実方の薄のみだれなど、いひつゞくれば、秋のみぞ、心おほかるべき、白河の秋風。
時是元禄丑の年秋八月望にちかきころ
素堂かきぬ
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