このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜東北〜


〜芭蕉記念館〜

須賀川市役所の隣に芭蕉記念館がある。


芭蕉記念館


入場は無料。

 元禄2年(1689年)4月22日(陽暦6月9日)、芭蕉は須賀川に至り、 相楽等躬 宅に7泊している。

 一 廿二日

 須か川、乍単斎(相楽等躬)宿、俳有。

『曽良随行日記』

 長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。 風流の初やおくの田植うた

一茶のパロディー

みちのくや判官どのを田うへ(ゑ)

『七番日記』(文化8年4月)

 芭蕉は須賀川で等躬から初めて白河に俳人何云(かうん)の存在を聞く。そこで須賀川の旅篭から書簡を認めた。何云は白河藩士。

 白川の風雅聞き漏らしたり。いと残り多かりければ、須賀川の旅店より申し遣し侍る。

   関守の宿を水鶏に問はうもの

何云宛真蹟書簡

白河市の 聯芳寺 に句碑がある。

何云の句

覆かれて角くむ筆の蘆辺哉


 明和8年(1771年)6月5日、諸九尼は須賀川に着いた。

日ぐれの比須賀川のむま屋につく。徳善院のもとを尋けるにせちにとゞめられて、蓑笠の雫をはらひけり。


 寛政3年(1791年)6月2日、鶴田卓池は須賀川に泊まっている。

壱り十一丁郡山 廿三丁日出山 弐り

須ヶ川     宿柳屋吉右ヱ門

『奥羽記行』 (自筆稿本)

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