このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜北陸〜
〜玉江跡〜
福井市花堂町に玉江二の橋がある。
玉 江 跡
この附近一帯の小流は歌枕にとりあけられたりして往時から知られている玉江の跡てあり、この橋はその名残をつたえた玉江二の橋の名て呼ばれている。芭蕉が「奥の細道」の旅でここを通って
玉 江
月見せよ玉江の芦を刈らぬ先
の句を詠んて以来 歌枕のみならす 俳句にもしばしばその名が出るようになった。
昭和34年3月建之 福井市
出典は「
芭蕉翁月一夜十五句
」(荊口句帖)。
元禄2年(1689年)8月13日(新暦9月26日)、芭蕉は
神戸洞哉
とともに夜明け前に福井を立つ。
あさむつ橋
を渡り、玉江の蘆を見ている。
漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。鴬の関を過て湯尾峠を越れば、燧が城、かへるやまに初鴈を聞て、十四日の夕ぐれ
つるがの津
に宿をもとむ。
『奥の細道』
元禄10年(1697年)、
惟然
は玉江を訪れ、句を詠んでいる。
玉江にて
貰はふ
(う)
よ玉江の麦の刈仕まひ
惟然
『泊船集』
(巻之六)
元禄14年(1701年)、支考は玉江を訪れ、句を詠んでいる。
玉江の橋
影ならふ鷺の玉江や芦の霜
支考
一あられ見はや玉江の橋の上
水音
『東西夜話』
元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は玉江を訪れている。
芋の葉の玉江と聞ヶははしの露
『山中集』
親鸞聖人御遺跡
玉江 片葉の葦傳承之地
承元元年(1207年)、親鸞聖人は越後に流されたが、その道すがら沿道の人々に一向念佛を説かれた。越後の親鸞聖人七不思議の1つに片葉の葦というのがあるが、越前にも七不思議があり、その片葉の葦は先年までここ花堂玉江一帯に繁茂していて聖人の遺跡として長く伝承されてきた。
このたび玉江二の橋の竣工を記念して有志相計り聖人の御遺徳を偲んで、この石碑を建てる。
昭和62年9月 建之
花堂老人クラブ一同
『奥の細道』
〜北陸〜
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