このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜北陸〜
〜芭蕉翁逗留出雲屋敷跡〜
市民文化センター
から芭蕉翁逗留出雲屋敷跡へ。
敦賀市相生町の「レストランうめだ」前に「芭蕉翁逗留出雲屋敷跡」の石柱があった。
芭蕉翁逗留出雲屋敷跡
月清し遊行の持てる砂の上
元禄2年(1689年)、『おくのほそ道』の旅で敦賀を訪れた松尾芭蕉が
気比神宮
で詠んだ句です。遊行宗(時宗)二世の他阿真教
(たあしんきょう)
上人が、人々のために自ら砂を運んで参道を整備したという「お砂持ち」の故事を踏まえたものです。
この故事を芭蕉に伝えたのが、ここ唐仁橋町(現相生町)の宿・出雲屋の主人弥一郎です。芭蕉は福井で再会した
神戸洞哉
とともに、中秋の名月の前日、8月14日に敦賀に入り出雲屋に泊まりました。その夜、月明かりの中を芭蕉は弥一郎の案内で気比神宮に参詣しました。
芭蕉は出雲屋に長い旅で用いた笠と杖を残していきました。出雲屋は早くに絶えますが、その隣家で親戚であった冨士屋が跡を継ぎ、芭蕉宿として多くの文人墨客に親しまれました。芭蕉の足跡を訪ね、多くの客の投宿したことが『宿句帳』から窺えます。笠は失われましたが、『芭蕉宿』の宿額等も芭蕉の残した杖とともに今に伝えられています。
天屋玄龍旧居跡
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