このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜北陸〜


〜天屋玄龍旧居跡〜

芭蕉翁逗留出雲屋敷跡 から天屋玄龍旧居跡へ。


天和3年(1683年)、大淀三千風は敦賀を訪れた。

○折ふし敦賀祭の頃にてとゞめられし。金崎遠望。氣比宮、當り宮の縁起等略。當津十景の記をかき十句し侍し。

一葉江に杖の檣(ほばしら)やすめたり


   三千筆の露の水揚         敦賀點屋
 水 魚

松も月もうつさはなどか所望集
 同

   嵐はしめて濃色の濱



敦賀市蓬莱町に「天屋玄流旧居跡」の石柱があった。


 元禄2年(1689年)、『おくのほそ道』の旅で敦賀を訪れた松尾芭蕉は、敦賀滞在の3日目、8月16日に最後の歌枕の地、種(色)の浜に遊びます。色の浜には、芭蕉が敬慕してやまない西行の「汐染むるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん」という一首が残されています。

 芭蕉を色の浜に案内した人物が『おくのほそ道』に天屋何某と記された室五郎右衛門です。五郎右衛門は玄流の他に点屋水魚とも号し、当時の敦賀の俳壇では中心的な存在であったと考えられます。天屋は代々俳人を輩出しながら、明治期まで北前船主として活躍しており、この地には平成14年まで煉瓦造の洋館が残されていました。

ありし日の室(天屋)五郎右衛門邸


(明治38年建築)

 玄流は芭蕉のために船を仕立て、食事や酒など心尽くしのもてなしをしたことでしょう。同行した 神戸洞哉 (等栽)が「その日のあらまし」を記した『色ヶ浜遊記』には、盃にますほ貝を入れて興じる清雅な遊興の様子に続けて、次の句が記されています。

小萩ちれますほの小貝小盃

色の浜 は遠いので、また日を改めて行くことにする。

 十六日、空霽たればますほの小貝ひろはんと種の濱に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云もの、破篭小竹筒などこまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。濱はわづかなる海士の小家にて侘しき法花寺あり。爰に茶を飲酒をあたゝめて、夕ぐれのわびしさ感に堪たり。

寂しさや須磨にかちたる濱の秋

波の間や小貝にまじる萩の塵

其日のあらまし、 等栽 に筆をとらせて寺に残す。

『奥の細道』

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