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私の旅日記2013年

猪名野神社〜鬼貫の句碑〜

伊丹市宮ノ前に猪名野神社がある。


国指定史跡 有岡城 岸の砦跡

  有岡城 は、伊丹台地の東緑の高台を巧みに利用した平城である。侍町、城下町の周囲を土塁と堀で囲み、町ぐるみを城塞化した惣構構造で、南北1,700メートル、東西800メートルの範囲に及んでいる。要所には岸の砦、上﨟塚砦、鵯塚砦が築かれていた。

 砦のうち有岡城惣構の北端に設けられたのが、岸の砦である。位置的に見て猪名野神社境内にその場所が推定されている。境内には土塁跡・堀跡が残されており、往時を偲ぶことができる。

 天正7年(1579年)、織田信長の有岡城攻めのとき、荒木村重の重臣渡辺勘大夫が守っていた。

伊丹市教育委員会

猪名野神社


御由緒略記

当社は古く野ノ宮、天王ノ宮と云われ、祭神は猪名野坐大神と称し健速須佐之男命を祀る。 孝徳天皇の御代猪名寺に在ったのを延喜4年(904年)に此地に勧請したものと云う。寛文元年、伊丹の地は近衛家の所領となり、近衛基煕公は貞享2年(1685年)本殿玉垣を再建された。之が現在の建物である。

爾来伊丹郷町の氏神として賑わい、明治2年に至り神仏分離とともに猪名野神社と改めた。

猪名野神社

本殿の左手に鬼貫の句碑があった。


鳥ハ未口もほとけす初桜

宝永4年(1707年)、 鬼貫 47歳の時の句。

原本は柿衞(かきもり)文庫にあるそうだ。

 嘉永7年(1854年)7月、伊丹の俳人山口太乙(たいおつ)・岡田糠人(ぬかんど)・梶曲阜(きょくふ)建立。

梶曲阜は伊丹で酒造業を営む。通称大和田屋金兵衛。別号照顔斎。

天保14年(1843年)、芭蕉百五十年忌に 「芭蕉と鬼貫の句碑」 を建立。

明治7年(1874年)11月14日、76歳で没。

句碑の後ろには有岡城跡岸の砦跡の土塁が残っている。

伊丹には14基の鬼貫句碑があるようだ。

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