〜一笑塚〜
本長寺
から国道157号に出ると、路地裏に願念寺があった。
木一山願念寺
真宗大谷派
の寺である。
門前に芭蕉の句碑があった。
芭蕉翁來訪地小杉一笑墓所
つかもうこけ我泣聲は秋の風
昭和42年(1967年)8月、一笑の子孫が建立。
小杉一笑
一笑は金沢における蕉風の先駆をなした俳人。
元禄2年(1689年)旧暦7月
『おくの細道』
で金沢入りした松尾芭蕉は、一笑が前年の霜月6日死去したことを知り、慟哭、
22日、ここ願念寺で催された追悼会で芭蕉は
「塚も動け我泣く声は秋の風」
と、その悲しみを詠んだ。
この前々年(貞享4年)、近江の人尚白が撰した『孤松集』に一笑の句が194句も入集されているほか、計378句の遺作が伝えられている。
芭蕉もその才能に最も注目していた俳人だったが、会うこともなく他界、享年36歳。
「心から雪うつくしや西の雲」(一笑辞世の句)
昭和62年9月6日
一笑三百回忌に
金沢市観光協会・金沢市
一笑塚
心から雪うつくしや西の雲
昭和40年(1965年)、
山口誓子
は願念寺に「一笑塚」を訪ている。
その願念寺が、いまは、犀川の川向うの野町三丁目に移っている。犀川大橋を渡って来た電車通が野町にさしかかる。とある町角を左へ入ると、右側に願念寺がある。
門を入って左手に「一笑塚」があり、その石の右側に
心から雪うつくしや西の雲
という一笑の辞世が刻まれている。
一笑
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