このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

禄剛崎灯台〜山口誓子の句碑〜
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白米千枚田 から禄剛崎へ。

道の駅「狼煙」に車を停めて、禄剛崎燈台まで歩く。

坂道が辛かった。

禄剛崎

 ここは能登半島の最北端で、ちょうど外浦と内浦との接点にあたるところです。「海から昇る朝日」と「海に沈む夕日」が同じ場所から眺める事のできることで有名です。また、晴れた日には、立山連峰や佐渡ヶ島が見渡せます。この高台に立つ灯台は、明治16年にイギリス人技師が設計したものです。現在も禄剛崎のランドマークとして、この地の壮大なロマンを感じさせてくれます。

環境庁・石川県

禄剛崎灯台


 この灯台は明治16年(1883年)、日本へ技術指導にきていたイギリス人の設計により建設されたものです。当時は灯油で発光していましたが、昭和15年に電化され、その光は海上34kmまで達します。

 古来この地は日本海を航海する人にとって重要な目印で、江戸時代にはこの真近にある山伏山の山腹に九尺四方の行燈を設け、毎夜灯火して夜間航海の目印としていました。また天保7年(1836年)には海上整備のため、現在の灯台付近に砲台が築かれていました。

 なお、この灯台は昭和38年まで灯台守が常駐していましたが、現在は無人灯台になっています。

左側面が 山口誓子の句碑 になっている。


ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり

昭和36年(1961年)8月、山口誓子は禄剛崎を訪れた。

   禄剛崎

ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり

燈臺の陰涼む陰他になし

『青銅』

昭和54年(1979年)3月、建立。

103番目の誓子句碑である。

禄剛崎灯台


〜日本で唯一「菊の御紋章」がある灯台〜

 この灯台は、能登半島の最北端の地、ここ禄剛崎に建てられ、明治16年(1883年)7月10日初点灯しました。今も建設当時の明治の面影を残しながら、禄剛崎沖を航行する船舶の道しるべとして重要な役目をしています。また、電波標識の無線方位信号所も併設しています。

 昭和38年(1963年)まで職員が常駐していましたが、機器の自動化に伴い、現在は無人の施設で管理事務所から定期的に巡廻管理しています。

禄剛崎灯台正面


海を見下ろす。


竜串海岸 のようだった。



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