このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

七尾マリンパーク〜長谷川等伯像〜
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金沢から七尾線「能登かがり火1号」で七尾へ。

七尾マリンパークまで歩く。

長谷川等伯像があった。


平成27年(2015年)2月24日、建立。

長谷川等伯像建立趣旨

 画聖「長谷川等伯」は、天文8年(1539年)に能登七尾に生まれ、絵仏師「長谷川信春」として能登周辺の寺院を中心に名を馳せていました。30歳代に妻子を伴って上洛し、長谷川一派を率いて豊臣秀吉や大寺院からの仕事をこなして活躍しました。中でも、能登の原風景を描いたともいわれる国宝「松林図屏風」は、日本水墨画の最高傑作として知られています。

 七尾では、昭和55年(1980年)に民間顕彰団体「等伯会」が発足して等伯顕彰活動を進めています。平成2年(1990年)には、七尾出身の彫刻家田中太郎氏による等伯の京都への旅立ちを表現した「青雲」像がJR 七尾駅前 に建立され、平成7年(1995年)に開館した石川県七尾美術館では、毎年「長谷川等伯展」を開催して偉業の普及に努めています。

 平成23年(2011年)、作家阿部龍太郎氏が日本経済新聞に連載され、刊行された小説「等伯」が、平成25年(2013年)第148回直木賞を受賞しました。

 これにより等伯顕彰の機運が一層高まり、等伯が亡くなった2月24日を「等伯忌」として記念日が制定されました。

 郷土が誇る画聖「長谷川等伯」の魅力をより一層多くの方に知っていただき、顕彰していくことを目的に「青雲」像をモチーフとした新たな「長谷川等伯像」を市民の集いの場であるこゝ七尾マリンパークに建立いたしました。

七尾マリンパーク


能登食祭市場は賑わっていた。

森繁久彌の詩碑


平成元年(1989年)7月、建立。

   能登の夢

能登ハやさしや土までも
このやさしさに
つゝまれて 七尾の
浦に育ちしは
   たぎるが如き
   誇りぞと
タブの葉づれに光る海
流れる雲に涙する

   七尾の海

鰤網あげる沖の声
風にちぎれていや増す寒さ
   大波洗ふ船端よ
   にぶい夕陽の沈む頃
遠い雷とどろく海に
冬は静かに歩みよる
今日の大漁祈て妻
子らの灯したローソク
ゆれて七尾は暮れてゆく

読みづらかった。

平成21年(2009年)11月10日、森繁久彌は96歳で没。

穴水 へ。



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