このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2012年
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種田天満宮
〜碑巡り〜
嘉永5年(1852年)3月13日、吉田松陰は石鳥谷を経て花巻へ。
十三日 微雨。午時
(ひるどき)
乃ち止む。驛を發し、石取を經て花牧に至る、城あり。
『東北遊日記』
石鳥谷町好地第7地割に種田天満宮がある。
種田天満宮
種田天満宮は菅原道真を祀っており、古くから学問や書道の神として崇敬されてきました。 言い伝えによれば、京都の北野天満宮からの勧請と言われていますが、神社がいつごろ、だれによって勧請されたのかは明らかでありません。
かつて、神社の左右に御供田がありましたが、この水田は毎年実りがよく、どんな年でも米が取れないことはありませんでした。凶年の年にこの水田より種もみを分けたことから、種田と称するようになりました。
神社の別当は、東側にある大森家が行い、現在に至っています。大森家の祖源太右ェ門は、盛岡藩主六代信恩
(のぶおき)
の時に五駄二人扶持を賜りました。五代目俊助親如
(ちかゆき)
は、荒廃していた社を文化10年(1813年)に再建し、以後は近郷近在から信仰を集めました。六代目定見は、寺子屋の師匠として子弟の教育にあたりました。
神社は、盛岡藩主十一代利敬
(としたか)
の時、藩内の神社書き上げの中に登載された神社でした。このころの奥州街道(現在の県道中寺林犬渕線)に面していましたが、昭和初期に現在地に移転しました。現在の本殿の造営は、嘉永年間(1848〜1854年)といわれ、平成15年に修復が施されました。祭日は、春は4月25日で、秋は9月25日です。
境内には、江戸の東都弧山堂卓朗(小森氏)の筆による安政3年(1856年)弥生(3月)12日建立の芭蕉の句碑、また、同年ごろの建立と考えられている古池庵吐月の句碑があります。
神社は学業成就の神として今日に至っていますが、以前は例祭日には幟を立て、盛んに少年の宮相撲が行われたほか、文章の上達を祈って青少年の「書」を寄進する慣わしなどがありました。また、毎日お参りすれば勉強ができるようになるということで、学校の行き帰りなどには子供たちの姿が見られました。
石 鳥 谷 町
石鳥谷町教育委員会
芭蕉の句碑
古池や蛙飛こむ水の音
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、
深川芭蕉庵
で詠まれた句。
「菅公重陽詩」碑があった。
去年今夜待清涼 秋思詩篇獨斷腸
恩賜御衣今在此 捧持毎日拜餘香
去年の今夜清涼に待し、秋思の詩篇獨り斷腸。
恩賜の御衣今此に在り、捧持して毎日餘香を拝す。
昭和12年(1937年)4月25日、建立。
菅原道真の歌碑もあった。
海ならすたゝよふ水のそこまても清きこゝろを月そ照らさむ
昭和10年(1935年)6月25日、建立。
「古池庵吐月の句碑」は分からなかった。
吐月
一号 奥州盛岡石鳥谷駅
三国屋又兵衛
雲に遣る眼の草臥や花の雨 吐月
『海内俳家人名録』
平成18年(2006年)1月1日、石鳥谷町は大迫町及び東和町と共に花巻市と合併し、花巻市となった。
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