このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2014年
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文学の蔵
〜島崎藤村文学碑〜
一関市田村町に「世嬉の一酒の民俗文化博物館」がある。
「世嬉の一酒の民俗文化博物館」
登録有形文化財
である。
島崎藤村ゆかりの地
わが国の近代文学にそびえ立大作『夜明け前』を著した文豪
島崎藤村
(1872〜1943)は、明治26年9月から10月にかけて、一関の豪商「熊文」こと熊谷家に寄寓し、長男太三郎に英語を教えるかたわら、清遊のときをすごしました。ここは、その「熊文」の跡地です。
島崎の一関来遊は、キリスト教伝道の旅で当地に来た友人
北村透谷
の紹介によるものでした。当時21歳の島崎は、
明治女学校
の教え子で、いいなずけのある佐藤輔子を愛したことで苦悩し、さすらいの旅の果てに、一関へ傷心の身をはこんだのでした。ところが一関は、輔子の少女期をはぐくんだ地でもあったのです。この奇しき二重の縁により、島崎と一関のゆかりは濃いものがあります。
遂げられぬ愛の苦しみだけでなく、文学的にも混迷と模索の過程にあった時だけに、当地の美しい山水とこまやかな人情に触れた思い出は、忘れ難く藤村の胸に刻まれたと思われ、昭和12年にも再訪しています。一関行きのことは『春』や『眼鏡』に描かれており、太三郎との交友のことは『家』にも表れています。
一関を去ってから4年後、藤村はようやく自己の文学の夜明けを迎えます。わが国の近代詩の出発を告げる『若菜集』の誕生です。一関滞在は短かったものの、抒情詩人として出発する若き藤村にとって、この北の風土と暖かな人情は、彼の文学の夜明け前の揺籃であったと言えるでしょう。
文学の蔵設立委員会
中庭に藤村文学碑があった。
あゝ自分のやうなものでもどうかして生きたい
ここは、島崎藤村の寄寓した豪商「熊文」の跡地である。碑文は、藤村、その友北村透谷、思慕の人佐藤輔子ら明治の青春群像をえがいた名作『春』より採った。藤村の文学をつらぬく基調音として名高い独白である。
藤村、透谷、輔子とも一関にゆかりがあり、藤村の一関曽遊百年・没後50年を記念し、この碑を建てた。
1993年 夏
文学の蔵設立委員会
「世嬉の一酒の民俗文化博物」に
一関市文学の蔵
(HP)がある。
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