このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
2019年の旅日記
小松帯刀像
〜県文化センター前〜
鹿児島市城山町の国道16号沿いに
西郷隆盛銅像
がある。
国道16号の反対側に中央公民館がある。
中央公民館前に撮影広場があった。
西郷南州翁終焉百年之碑
鹿児島では西郷隆盛は格別である。
少し離れて県文化センター前の交差点に小松帯刀像があった。
小松帯刀像
平成5年(1993年)10月13日、建立。
明治維新の推進者
小松帯刀像銘文
この像は京都二条城会議で真っ先に筆をとって署名し、将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告、王政復古を実現させた小松帯刀の功績をたゝえる像である。
時に小松33歳 慶応3年(1867年)10月13日であった。
西郷隆盛と向かい合っているようだが、西郷像に比べれて小さい。
小松帯刀は天保6年(1835年)喜入領主肝付家の三男として生まれ20歳で吉利(日吉町)の領主小松家の養子となり、小松帯刀と名を改めました。子供の頃から学問や武芸にすぐれ、27歳で家老となり、
西郷隆盛
や大久保利通などを重要な役目につけました。
寺田屋事件
、生麦事件、薩英戦争を乗りきり、薩長同盟を結ぶなど明治維新に向けて活躍しました。維新後も外交官など要職につきましたが、34歳で亡くなりました。
小松帯刀像は、慶応3年(1867年)に、十五代将軍慶喜が、二条城に諸大名を集めて、政治の権力を朝廷に返還(大政奉還)すべきかどうかを問うたとき、薩摩藩の城代家老であった小松帯刀が「大政を奉還すべき」として地藩にさきがけて記帳したときの様子をイメージして造られたもので、三公像(島津斉彬、島津久光、島津忠義)の建つ、照国神社を向いて建立されています。
照国神社
を向いているのだった。
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