このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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牧水歌碑

百草園

百草園 に若山牧水生誕百周年歌碑がある。



小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君

第2歌集『独り歌へる』の歌である。

うちしのび夜汽車の隅にわれ座しぬかたへに添ひてひとのさしぐむ

野のおくの夜の停車場を出でしときつとこそ接吻をかはしてしかな

第2歌集『独り歌へる』

若山牧水生誕百周年建立歌碑

 百草園の歴史は古く、享保年間(1715年頃)松連寺の庭園として作られ、文化・文政の頃より歌会や句会などで賑わっておりました。

 明治に入り、代表的歌人若山牧水(明治18年8月24日、宮崎県に生れる)も早稲田大学に在学中、武蔵野の自然を愛し、度々百草園を訪れております。

 明治41年春、恋人 園田小枝子 と共に百草園で楽しい一時を過ごし、

小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君

と恋人に対する親しみと憧れの心を詠み、翌年夏この歌を加えた歌集『独り歌へる』を編纂し、歌人としての名声を得ることになりました。

 ここに生誕百周年を迎えるにあたり、歌人若山旅人氏(牧水の長男)の選歌揮毫による歌碑を建立し、記念するものであります。

 昭和60年11月吉日

日野市観光協会
京王電鉄株式会社
日野市教育委員会

百草園松連庵


松連庵の左に若山牧水の歌碑があった。


山の雨しばしば軒の椎の樹にふり来てながき夜の灯かな

摘みてはすて摘みてはすて野のはなの我等があとにとほく続きぬ

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり

百草園にて 若山牧水

 大悟法利雄『牧水歌碑めぐり』によれば、62番目の 牧水碑 である。東京では 立川駅北口 の牧水歌碑に次いで2番目。

若山牧水歌碑

 牧水は自然を求めて旅に生きた歌人で、早稲田大学に学ぶ頃明治39年初めてここを訪ね、その後数年に渉って当時この碑の所にあった茶店に滞在して、武蔵野の自然を詠った。吾人はここに其の3首をえらび、永く百草園の為に残すものである。

 昭和46年11月

日野観光協会

 明治39年(1906年)10月、牧水は早稲田大学の級友土岐善麿と奥多摩方面に遊ぶ。

   旅ゆきてうたへる歌をつぎにまとめたり
   思ひ出にたよりよかれとて

山の雨しばしば軒の椎の樹にふりきてながき夜の灯かな

立川の駅の古茶屋さくら樹の紅葉のかげに見おくりし子よ

第1歌集『海の声』

 明治41年(1906年)、牧水は園田小枝子と百草園で過ごす。

摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ

山はいま遅き桜のちるころをわれら手とりて木の間あゆめり

第2歌集『独り歌へる』

 明治42年(1909年)6月19日、牧水は突然百草園にやってきて、そのまま暫く滞在している。

 驚く勿れ僕在り此處矣

 やり切れなくなつて昨日雨をついて東京を逃げ出したわけだ、急、突然だつたので、いさゝか自分ながら驚いて居る、

6月20日付け友人宛の葉書

 第2歌集『独り歌へる』に「六七月の頃を武蔵多摩川の畔なる百草山に送りぬ、歌四十三首。」と詞書がある。

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり

第2歌集『独り歌へる』