このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
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中山道
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細久手宿
県道65号恵那御嵩線は旧
中山道
。
歴史の道
中山道
細 久 手 宿
海抜420メートルにあって、江戸から48番目(距離約92里)、京から22番目(距離約42里)に位置する宿場です。中山道の開設当初、東の大湫宿から西の御嵩宿までの道程が4里半(約17.7キロメートル)もあったことから、尾張藩によって設置されました。 慶長11年(1606年)の開宿当初は、七軒屋と呼ばれる小さな仮宿で、その後放火により全焼し、慶長15年(1610年)に正規の宿場として再整備されています。 宿場の規模については、天保14年(1843年)の記録に「町並み三町四十五間(約410メートル)、家数六十五軒、総人数二百五十六人」の記録があります。
細久手宿は、仮宿の全焼のほか、寛政14年(1802年)、文化10年(1813年)、安政5年(1858年)の3度にわたって大火に見舞われ、大きな被害を受けました。現在の町並みは安政の大火以降に形成されたものです。
瑞 浪 市
寛政13年2月5日、亨和に改元。「寛政14年」は「亨和2年」が正しい。
「
旅館
大黒屋」
中山道細久手宿(旧尾張藩本陣)
国登録有形文化財
である。
貞享2年(1685年)、貝原益軒は細久手宿のことを書いている。
○細久手より御嶽へ三里、細久手の家五十許あり。
『岐蘇路記』
享和2年(1802年)3月27日、太田南畝は細久手宿に入る。
細久手の駅に入れば、左の方なる林の中に鳥居あり。石坂のみゆるを何ぞと問へば、産土の神なりと答ふ。駅舎のさまわびし。お六櫛をひさぐもの多し。
『壬戌紀行』
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