このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
中山道
『壬戌紀行』
(木曽の麻衣)
享和2年(1802年)3月21日、
大田南畝
が大坂銅座詰の任を終え大坂を立ち、木曾路を経由して4月7日に江戸に着くまでの紀行。
享和二のとし三月廿一日、大坂南本町五丁目のやどりを出て東路におもむく。よべりより雨ふれば、雨つゝみの用意すとて人々たちさはぐ。かねて寅のひとつにたち出んといひおきてしが、夫馬の来る事遅くして卯の刻ちかくになりぬ。
舟で淀川を上り伏見へ。
石の鳥居のみゆるは天満宮なるべし。菅家左遷の時、楊枝をしるしにさし給ひし所といふ。 右に石の灯籠かすかにみへしは佐太天神にや。左にも天満宮あり。石の鳥居に、福禄永貞皆因公之といへる文字と、延享といふ字ほのかにみえしうちに、舟はゆき過ぬるもほゐなし。
3月22日
東福寺
西本願寺
金閣寺
3月23日
膳所城
石山寺
草津宿
3月24日
高宮宿
醒ヶ井宿
柏原宿
〜皇女和宮〜
3月25日
寝物語
常盤御前の墓
不破の関屋の跡
垂井宿
垂井追分道標
赤坂宿
加納宿
3月26日
岐阜城
犬山城
鵜沼宿
可成寺
3月27日
細久手宿
中山道二つ岩
大湫宿
紅坂一里塚
乱れ坂
槙が根追分
槙ケ根一里塚
西行塚
大井宿
3月28日
落合橋
3月29日
立場茶屋
寝覚の床
上松宿
木曽の棧
福島関所
4月1日
下諏訪宿
4月2日
和田宿
笠取峠
望月宿
4月3日
八幡宿
塩名田宿
相生の松
追分宿
芭蕉の句碑
熊野権現
碓氷峠
刎石
坂本宿
4月4日
碓氷関所跡
板鼻宿
上豊岡
下豊岡の道しるべ
高崎宿
倉賀野宿
4月5日
神流川の渡し
本庄宿
深谷宿
熊谷宿
熊谷寺
4月6日
八丁の一里塚
久下村
吹上村
箕田碑
鴻巣宿
(埼玉県桶川市)
(埼玉県上尾市)
氷川神社
浦和宿
調神社
一里塚の跡
蕨宿
4月7日
戸田の渡し
板橋宿
僮僕よろこびむかへ、稚子門に
(ま)
つといひけん。親戚の情話はかきもつくさじ。庭の桜はちりはてゝ青葉になりしかど、石楠草の花さきのこりて、小百合葉の苔なつかしげなり。先かはらけとりどりに、したしき友どちいり来りて、日のくるゝもしらず。そこともわかぬ酔心地に、なをも旅寐の心地なるべし。
壬戌紀行二巻浄写畢、時享和二年季夏十日也 杏花園
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