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私の旅日記
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2008年
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金閣寺
〜北山鹿苑寺〜
三千院
から金閣寺へ。
金閣寺庫裏
北山鹿苑寺、
臨済宗
相国寺派の寺院である。
金閣寺にて
しづかさは赤松石を時雨哉 風国
『泊船集』
白井鳥酔は金閣寺を訪れている。
○金閣上に登りて鏡湖池を望
秋の日に研直しけり池の水
『露柱先師懐玉抄』
川村碩布
も金閣寺を訪れているようである。
梅咲ば亀も浮くなり金閣寺
『梅百句』
金閣寺
鏡湖池に映っている。
享和2年(1802年)3月22日、太田南畝は金閣寺を訪れている。
金閣は三重にして、第一を法水院といふ。弥陀の三尊、夢想国師の像、鹿苑院殿道義の像あり。第二を潮音洞といふ。自然木の観音、四天王を安ず。第三を究竟頂と、後小松院の勅額なり。板敷三間四面の一枚板にして、四壁ことごとく金箔にてだみたるが、色落ちて光なし。
『壬戌紀行』
昭和2年(1927年)4月、
高浜虚子
は金閣寺に立ち寄った。
金閣寺に立ち寄つた。屡々來た事のある泉石であるが、何日来て見てもこせこせして居ないたゝずまゐが氣に行つた。
「花の都」
金閣寺
啓書記の達磨暗しや花の雨
春雨の傘さしつれて金閣寺
『五百句時代』
昭和11年(1936年)3月20日、
種田山頭火
は同人と共に北野吟行。
三月廿日 曇、花ぐもり。
朝湯朝酒。
蛇が穴を出てゐた。
同人と共に北野吟行。
鷹ヶ峯、庵、光悦寺、金閣寺、酔つぱらうて、仙酔楼居へ自働
(ママ)
車で送られる。
『旅日記』
昭和15年(1940年)、
水原秋桜子
は金閣寺を訪れている。
金閣寺前庭
巣立鳥相阿弥の庭に下りて鳴く
相阿弥が据ゑける石に梅雨の苔
『古鏡』
裏から見た金閣寺
昭和25年(1950年)、放火により金閣寺炎上。
昭和30年(1955年)、再建。
昭和31年(1956年)、三島由紀夫『金閣寺』を『新潮』に連載。
芭蕉堂
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