このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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中山道
旧中山道一里塚の跡
蕨宿
から国道17号線を横切って旧中山道を行くと、外環道の手前に「一里塚の跡」の碑があった。
旧中山道一里塚の跡
享和2年(1802年)4月6日、太田南畝は一里塚を越えて、蕨宿に着く。
辻村の立場をすぎ一里塚
榎
をこえて、蕨手村をすぎ蕨の駅につく。
『壬戌紀行』
一里塚の跡に弁財天があった。
由来
昔、この辻地区は湿地が多く、村人達は大変難儀をした。この水難を守る為、水の神弁財天を安置し、地区の守り神とすると共に、中山道を旅する人々の安泰を願った。
由来伝記の為、有志相計り保存会を結成し、祠を再建して、ふる里の道しるべとする。
国道17号線を横切って旧中山道を行くと、さいたま市立南浦和小学校の東側に「焼米坂」がある。
焼米坂
ここが江戸時代の記録で有名な焼米坂です。本名は浦和坂ですが。昔、焼米を賣る店があったので知られ、いつしか此の名で呼ばれるようになりました。
『江戸名所図絵』(焼米坂)
右に社あり。少し坂を下れば焼米をうる家あり。よりて焼米坂といへど本名は浦和坂也。
『壬戌紀行』
天保2年(1831年)10月11日、渡辺崋山は「毛武」へ旅立ち、「焼米坂」のことを書いている。
蕨駅
北根岸、白旗
(幡)
、岸、一里半
此辺有
レ
坂、やき米を売をもて名あり。
「毛武游記」
調神社
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