このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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近江美濃両国境
〜寝物語の由来〜
関ヶ原町
今須の県境
を越える。
宝永元年(1704年)、鬼貫は寝物語の里を通り美濃へ下る。
元禄十七甲申のとし今年寶永に改元
美濃の國へ下りける時寐物かたり と
いふ里をとほりて
ふむ足や美濃に近江に草の露
『仏兄七久留万』
近江美濃両国境寝物語
左の溝が県境である。
享和2年(1802年)3月25日、
太田南畝
は寝物語を過ぎる。
名におふ寢物語といふ所は、人家の間三尺ばかり隔てゝ美濃と近江の境なり。左の方に寢物語並車返しの由來をひさぐ書付ありしが、まだ朝のほどにて、雨さへふれば門もあけず輿はとく行過ぬ。
『壬戌紀行』
「寝物語の由来」の碑があった。
寝物語の由来
近江と美濃の国境は、この碑の東10メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅篭があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(1159)後、源義朝を追って来た常盤御前が「夜ふけに隣の宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも「源義経を追ってきた静御前が江田源蔵と巡り会った」所とも伝えられています。
寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にも、ここが描かれています。
ひとり行く旅ならなくに秋の夜の
寝物語もしのぶばかりに
太田道灌
平成4年1月 滋賀県米原市
関ヶ原町山中に
「常盤御前の墓」
がある。
平成17年(2005年)2月14日、山東町は米原町、伊吹町と合併して米原市となった。
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