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上島鬼貫
『仏兄七久留万』
鬼貫の自選句集。
人おほくおのつから耳に心にうつりて八つになりけるとし
こいこいといへど螢かとんてゆく
これを我わさこと哥の初としてよりより句をいふ事數あり
春 の 部
元禄元戊辰
如月のはしめ伊丹を起はなれて
あけほのや麥の葉末の春の霜
ひとり舟にて伏見を下る夜
おほろおほろともし火みるや淀の橋
旅 行
あふミにも立つ湖水の春霞
おなしく
春風や三穂の松原清見寺
人の親の烏追けり雀の子
彌生卅日の雨を
春雨のけふはかりとて降にけり
亡子を悼こと葉
元禄八亥のとしむつきの六つの夜母の夢想に南面に松はえにけりといふ句をみて其年の亥の月の中の亥の日の卯の上刻に誕生名を永太郎と呼んて月を送り日を重るにしたかひて聰明人にこえ平生翫ふわさは武氣自然に備はり生得強勢なりしをことし初陽の上の五日より疱瘡のためにおかされ醫療不應して中の五日の戌の下刻に終りぬ抑かゝる凶事の有へきにや南表の松ゆゑなきに枯西裏の松ハ風やハらかなるに大枝おれぬ其外あまたの前表を顯ハしたれハひとへに天數のまぬかれさる所歟されと愛念しはらくも離れかたくて老少不定の明理たちまちに曇らんとして夜の雨は窓をくゝつて胸をたゝき松吹風ハいつも聞音にハあらすとかくして一七日の夕骸(カラ)をおさめたる寺に行て
土に埋て子の咲花もある事か
日ハ西山に入て明朝東山に出庭上の梅花今年また花生す一切是空かい年の夢の夢昨日永太郎今日利陽童子
木をわりて見たれハ中に花もなし
されとも木より花ハ咲ぬる
元禄十三庚辰 父
猛春廿一日 佛兄手向
元禄十四辛巳
二月廿五日
惟然
にとハれて廿八日京へ歸らんとい
ふ時
止られぬ又きさしませ花ちらは
雜
二葉集
天の巻に入
惟然撰
角菱の餅にありとも桃の花
松風の四十過てもさハかしい
長崎の人初櫻といふ書を板行せし巻頭
鳥はまた口もほとけす初櫻
夏 の 部
水無月や風に吹かれに古郷へ
秋 の 部
宗因
廟
宗因は春死なれしか秋の塚
富士のかたちハ畫るにいさゝかかハる事なしされ
とも腰を帶たる雲の今見しにはやかハりそのけし
きもまたまたおなしからすして新なる富士を見る
事其數暫時にいくはくそや足高山ハおのれ獨立な
ハならひなからん外山の國に名あるハあれと
によつほりと秋の空なる富士の山
また
馬ハゆけと今朝の富士見る秋路哉
諷竹
を東湖といひし昔の宅にて筒の花入に薄を入
て壁に掛たるを
此すゝき窓より吹や秋の風
七日盤水ミゆつれ立出てほとりの野徑に遊ふ
秋風の吹わたりけり人の顔
鬼貫
盤水發句略之
禁足旅記
北窓の月ハ遠山の曉にそむき南面の秋日ハ軒をめくる事はやしわれ心あらハ目出度閑居なるめれといやしけれハたのしミのおもひミしかく欝寥たる秋の中々吾妻のかたに旅したけれと月
(用)
なきに身を遠く遊ふ事暫老親のためにおもけれハこしかたに見つくしたる所々居なから再廻の眼をおよほし日々心はかりをもぬけてゆかハ己か願ひも足り不孝にもあらすと思ひ立ぬ
廿日の夕くれ大坂に出て伏見への船かりてのる
我か身に秋風寒し親ふたり
廿一日伏見につく朝ほらけうちなかめ行に町ハ所々家の隣畠に成て淋し
伏見人唐黍からをたはねけり
わかれて關の明神にまゐる
琵琶の音ハ月の鼠のかふりけり
案内する子をやとひて
三井寺
より高觀音にのほる所々の事念比に夜は湖水の月なと舌さへまハらすいひしも、實(げに)
馴れはおとなしき物をと愛らしくて
大津の子お月様とハいはぬかな
義仲塚
柿葺や木曾が精進がうしにて
また膳所を行はなれて秋の田面の物あはれなる中に
兼平塚
かね平か塚渺々と刈田かな
この所より道を右に登りて
石山のいしの形もや秋の月
戻りに
芭蕉が庵
に尋ねて
、 我に喰せ椎の木もあり夏木立
廿二日
草津
を出て宿の別れに發句すおもふに付所品々ありて句の姿ハ替るやうなれと皆おなしうつハものゝ中をめくりて心新しきハなし世の常の俗言を以て作らハ全く誹諧にしてしかもその古きをのかるへしと我暫く爰に遊ふ此地にも安心せハ又例の病ひおこらん只誹諧を乘物にして常をわたる人あらハ行す止まらすして誹諧もなく病ひもなき大安樂界に到らん
獨吟
伊丹風 誹諧略之
らくらくお姥か屋根ふくやことし藁
廿四日桑名に出風はけしくて船こハさに宿とる座敷は海をうけたる所なり磯よりちいさき釣舟の行衛覺束なく見やりて蛤なとやせて心のひたり
風の間に鱸
(すずき)
の鱠させにけり
午のさかりに風なほりて舟出す打晴てそこそこ面白かりし物を申の頭より雨になりてうい目す漸日のをハるころあつたにあかりて今宵の宿かる
熱田にて鱸
(すずき)
の鱠吐にけり
廿五日、
なるミの宿
を過て行さき尾張三河のさかひ橋あり尾張のかた半ハ板を渡し三河の地ハ土橋なり
池鯉鮒
を過てやはきにつく藪生たる所かの長者の跡なといひて田の中にミゆやとひたる馬士の是によそへてと望むほとに耳ちかき世の一ふしをとりて
浄瑠璃よかり田の番ハ夜斗
わか心の留守見まひすとて燈外ミゆ幸にこの人とらへて行々兩吟して赤坂に宿とる亥のさかりまて語りてまた例のひとり寐す
哥仙
燈外發句あり 誹諧略之
廿六日ほとなくて御油の宿にかゝる猶行道の左右に大きなる松はへつゝき梢ひとつになりて日の影さへもらぬ程なり
旅の日ハとこらにやある秋の空
吉田
の町にて鶉聞て
うつら鳴よし田とほれハ二階から
火うち坂といふ所に休ミて
霧雨に屋根よりおろす茶の木哉
ふた川
を過行爰にも三河遠江のさかひ橋ありそれを渡りて
わか裾ハ三河の露と交りけり
しら須賀をこえて
荒井
につく濱名の橋の跡なつかしくて
ことしにて濱名の橋ハ幾秋そ
また夜の心になりて
あの月やむかし濱名の橋の月
船より
前坂
にあかりて今宵濱松に明す
廿八日
小夜中山
松杉のすけなふ立たる中に朝日影ちからなくさし入て猶心ほそし
けふともに秋三日あり小夜の山
菊 川
承久三年の秋中御門中納言家行と聞えし人つミありて吾妻に下りこの宿にとまりけるか昔ハ南陽縣の菊下流を汲て齡をのふ今ハ東海道の菊川」の西岸に宿して命を失ふとある家の障子にかゝれたりけると聞置たれハあハれにて其家をたつぬるに火のためにやけてかの言の葉も殘らぬと長明か書たる事なと思ひ出て我も家の障子に
家行ハ承久三年の秋述懐を書く我ハ元禄三の秋其亡魂を吊ふ
本來の障子ハ燒し秋の風
江尻を過て
清見寺
に登る
庭上秋深うして佛閣靜に高し海原見ゆる所望めハ心のひまた心よハくなれり
秋の日や浪に浮たる三穂の邊
興津の浦の海士の蚫とるなと都にハなきをと見る猶荒波の磯つたひに道すなほならて實所の名もとおもふに古郷なつかしくて
雜
古郷や猶心ほそ親しら須
由井
かん原をこえて富士川につく色さへ餘所の水に替りて船の去事甚はやし
富士川や目高ほしさに秋の空
よし原に臥て晦日の朝
秋の日や不二の手變の朝朗
浮島か原をしはらく通りて
うき島や露に香うつる馬の腹
三しまの社
三島の社 を拜ミ奉るに皆幾抱あらむとおもふ斗の松杉間なく立こもりてさひわたる神風に梢の雫落るも遠し眞砂ハその白玉にうるほひ御池は水の面青ミ立て底覺束なくすこし
雜
千早振苔のはへたる神鰻
(※「魚」+「旦」)
のほりのほりて箱根の峠 に到るけふ三島の空にいたたきたる雲ハはるかなれと今宵ハまたその上に枕す十月朔日宿を出てゆく俗に此山にて死人に逢たる例多しといひならハす程に
雜
水海やわか影にあふ箱根山
磯ハたにさいの河原あり念佛する法師の家所々に聞え往來の人の小石あまた積ミかさねたるを見るにも子をしたふ數しられて物あハれ也
お地藏のもすそに鳴や磯鵆
權現にまゐりて
神の留守るすとおもへハ神の留守
かしの木ハ皆人馬にものらす岩根道いく曲りもまかりて中々鈴鹿の坂ハこの汗にも似す漸
小田原
に下る
雜
氣辛勞や馬にのろ物小田原へ
けに心はかり行道なれハ落る事もなきにと後悔してすく
曾我の里
をとへハ海道とり十町はかり左の山陰なりといふ
さむ空にいとゝおもふや曾我の里
それより
大磯
にこえて
虎御前今ハつめたし石の肌
藤澤にとまりて二日の朝
遊行の御堂
にまゐる看經の聲たうとく我も無念の念佛す
十月の二日も我もなかりけり
之道
けふハ隙にして來りぬといひけるを又とらへて
哥仙
之道發句あり 誹諧略之
かな川を過て爰にも富士の人穴といふあなあり口廣くあいて奥のあいて奥の深さ闇くて見えす
人穴に折ふし寒し風の音
しな川より鐡鉋州の御堂を見やりて
むさしのハ堂より出る冬の月
江戸に入て
日本橋
をわたる
いつもなから雪ハ降けり富士の山
嵐雪
か庵に宿す去年の秋ハ瓠界この庵に來りて夜長くことしの春ハ我事いふに短くまた歸りていふに長し互に笑て夜もすから兩吟す句ハ其袋にむかふ
哥仙
嵐雪發句あり 誹諧略之
其袋
といふハ嵐雪か撰たる誹諧の書也其中よりかれか句を
拾ひ出して付つゝけたる兩吟のはいかいなり
元禄四年辛未のとし
名月病後
しみしみと立て見にけりけふの月
元禄十三庚辰利陽童子に別れしとし
八月十五日に
此秋ハ膝に子のない月見かな
元禄十五壬午のとし
惟然
が伊丹の我宿に來りていふ句
秋晴たあら鬼貫の夕べやな
とりあへず
いぜんおじやつた時はまだ夏
元禄十七甲申のとし今年寶永に改元
美濃の國へ下りける時
寐物かたり
と
いふ里をとほりて
ふむ足や美濃に近江に草の露
冬 の 部
旅 泊
膝頭つめたい木曾の寢覺哉
上島鬼貫
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