住吉の市に立てそのもとり長谷川
畦止亭におのおの月を見侍るに
| 芭蕉
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升買て分別かはる月見かな
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| 秋のあらしに魚荷つれたつ
| 畦止
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| 家のある野は苅あとに花咲て
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惟然
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| いつもの癖にこのむ中服
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洒堂
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| 頃日となりて土用をくらしかね
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支考
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| 榎の木の枝をおろし過たり
| 之道
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此集を鏤(ちりばめ)んとする比、芭蕉
| の翁は難波に抖数(藪)し玉へると聞
| て、直にかのあたりを訪ふに、晴々
| 亭の半哥仙を貪り、畔止亭の七種の
| 恋を吟じて、予が集の始終を調るも
| のならし。
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此道や行人なしに秋の暮
| ばせを
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| 岨の畠の木にかゝる蔦
| 泥足
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| 月しらむ蕎麦のこぼれてに鳥の寐て
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支考
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| 小き家を出て水汲む
| 游刀
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| 天気相羽織を入て荷拵らへ
| 之道
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| 酒で痛のとまる腹癖
| 車庸
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同年10月5日、芭蕉は之道亭を出て
南御堂
前に移る。
元禄9年(1696年)10月12日、芭蕉の三回忌に諷竹は
義仲寺
を訪れている。
元禄10年(1697年)、上京。
『染川集』
(哺扇編)刊。諷竹序。
元禄11年(1698年)3月、
『淡路島』
(諷竹編)刊。丈艸序。諷竹跋。
團友子發足に下りあはせて
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| 一ふしはどこへ出しても夏男
| 諷竹
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元禄13年(1700年)、
『青莚』
(除風編)刊。諷竹序。
元禄16年(1703年)10月9日、浪化は33歳で没。
宝永2年(1705年)3月、魯九は長崎に旅立つ。諷竹は餞別の句を詠んでいる。
柳よりあまりて春の夜寒かな
| 南堀江
| 諷竹
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正徳2年(1712年)、没。享年未詳。
之道の句
一通り猪の牙の跡の薄かな
鶯もふできに成て山ざくら
行く人や門田のわせの籾づもり
天王寺に遷座ましましける善光寺の如来を拝 して
みだ頼むこよひになりぬ後の月
雲に雲おほひ重るあつさかな
うくひすの小頸捻るや朝けしき
ふるひゆく心もしらて梅の花
小座鋪も風吹止は長閑にて
天神奉納
ことに此神も愛せり松と梅
さかのはな見にまかりて渡月橋をわたり
やりわたす花の嵐や大井川
灌仏や釋迦も畠に二年越
皆我につかはるゝなり年のくれ
何故そ雨にうたれて杜宇
さらさらの匂ひならねと梅の花
寒けれど風のはづみや梅の花
夜は凍(いて)晝は解つゝ蕗の塔
捻上て友待顔や雁の首
花あれは市の中にも鳥の聲
明がたや又水鳥の一くずれ
しくれけり今夜は聞し箸洗ひ
病中吟
おもひ出す人の多さよけふの月
瓜畠に秋や來かゝる日の色ミ
花に寢てつかまるゝ迄蝶の夢
あたゝかな泥もどろどろ水なれよ
あき雨や笹の裏葉を吹とをし
中立や路次てふらるゝ梅の笠
住みよしのまひと時雨と暮るまて
市立て鵜沼のさとや啼蛙
梅一重とゝけつくしの枯野塚
秋もけふたつ日や川の薄濁り
七草にかゝむ小腰や八十の弓
またさかぬ梅の梢や三かの月
京よりも晝は伏見のほとゝぎす
十五日たつや睦月の古手買
蕉 門
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