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俳 書

『鳥のみち』(玄梅撰)


元禄10年(1697年)3月、『鳥のみち』(玄梅撰)游刀序。

石岡玄梅は奈良の人。素觴子。

貞享2年(1685年)、「野ざらし紀行」の旅で奈良を訪れた芭蕉の門人となる。

游刀は膳所の人。別号は垂葉堂。

旅からす古巣はむめに成にけり
   翁

   此句は翁いつのころの行脚にか伊賀の國にてとし
   の始にいへる句なり

梅かゝやさくらは色てあいしらふ
    土芳

ふるひゆく心もしらて梅の花
    諷竹

鶯のなくなくそこに樂寢かな
    去來

うくひすの夕の露はなにゝねた
   猿雖

うくひすや鳴たつ中の惣まくり
   游刀

鶯と勢くらへかや木樵哥
    正秀

   京なるひとのもとへ申つかはしける

うくひすやけふ一こゑのふみつかひ
   智月

うくひや崕(※「山」+「崩」)の上からさか落し
    露川

端々はうはさに梅のつほみ哉
   昌房

   尾張の國に春を探りて

梅の花ちり初にけり難追(ナヲイ)かせ
    丈艸
 フンコ日田
鶯のたゝくさになる柳かな
   朱拙
 筑ノ黒崎
うくひすよ竹卓散にほり立屋
    沙明

鶯の六具しめたるこはねかな
   玄梅

三か月や鶯かへる寐つくろひ
    惟然

狩人を呼まはるかやきしの聲
   正秀

かへるそらなくてや夜半の孀(やもめ)
    丈艸

   周防路を過るとて

風呂敷に落よつゝまん鳴雲雀
   惟然

   ほとゝきす

時鳥なくや田植のみちすさみ
    洒堂

   越のあらちやまにて

草臥て芝に眠しかんことり
   正秀

雲岸寺のおくに仏頂和尚山居

 竪横の五尺にたらぬ
  くさのいほ
      むすふもくやし雨
            なかりせは

松の炭して岩にかきつけ侍しといつそや聞え給そのあと見むとて雲岸寺に杖を引は人々すゝんてともにいさなひわかき人おほく道の程うちさはきておほえすかの梺にいたる山はおくある氣色にて谷道はるかに松杉くろく蘚したゝりて、卯月の空今猶寒し十景つくる所橋を渡りて山門に入る扨かのあとはいつくの程にやとうしろの山によちのほれは石上の小庵岩窟にむすひかけたり妙禪師の死関法雲法師の石室を見るかことし

木啄もいほはやふらす夏木立
   翁

鳴止みにうくひすはひる茂り哉
   土芳
  イカ
はつかりに遅ひからすや目をさます
    卓袋

旅人の小判て譽る鶉かな
    團友
  イカ
そよそよと薄もふくや鳴うつら
    諷竹

    鴫立澤 にて

ほとしきも水のみに來よ崩れ沢
   玄梅

(マル)々の中を崩すや赤かしら
    水札
 クロサキ
このたひはうらうらと鳴千鳥哉
   帆柱

たかの羽のあふらひきける寒さ哉
    牧童

   

一本をくるりくるりと花見かな
    浪化

はなのさく木はいそかしき二月哉
    支考

   いかにて
  江戸
やま越てちかつき顔や初さくら
    野坡

あつらへの天氣なりけりはな曇
   史邦

二日そふ川のわかれや八重櫻
   野坡

一日もぬからし花よ咲そめて
   風國

   栗といふ文字は西の木と書て西方浄土にたよりあ
   りと行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用たまふ
   とかや

世の人の見付ぬはなや軒の栗
  はせを

   清水なかるゝのやなきはあし野ゝさとに有て田の
   畔に殘る此所の郡司戸部某の此柳見せはやなと
   折々にの給ひ聞へたまふをいつくの程にやと思し
   をけふ此柳の陰にこそ立寄侍りつれ

田一枚うへてたちさる柳かな
   翁

   武隈の松見せ申せ遅さくらと挙白といふものゝ餞
   別したりけれは

櫻より松は二木を三月越
   仝

はるもまた寒さへ明す猫の戀
   素覧

子をうんて猫かろけなり衣かへ
   白雪

   名 所

   身を風雲にまろめあらゆる乏しさを物とせすたゝ
   ひとつの頭のやまひもてるゆへに枕の硬をきらふ
   のみ惟然子か不自由なり蕉翁も折々是をたはふれ
   しにも此人はつぶりにのみ箸をもてる人也とそ此
   春故郷へとて湖上の草庵をのそかれける幸に引駐
   て二夜三夜の鼾息を贐とす猶未遠き山村野亭の
   枕にいかなる木のふしをか侘て殘る寒さも一しほ
   にこそと背見送る岐に臨て

木枕のあかや伊吹にのこる雪
    丈艸

   かへし

うくひすにまた來て寐はやねたひほと
    惟然

   旅 行
  みの
しる谷やつほみの雫遅さくら
    如行

   うらみの瀧にて

しはらくは瀧に籠るや夏の始
   翁

飛とりをしたに愛宕の青あらし
    露川

   子の夏の比ならにきたりてある亭の會に

ころからん夏の青みの葛籠やま
    惟然

   雲鳥の峠にて

五月雨にしつむや紀伊の八庄司
    去來

さみたれを集てはやし最上川
   翁

   淵菴不玉亭にて

あつみ山や福浦かけて夕凉み
   翁

暑き日を海に入たり最上川
   仝

   みのゝ國人見の松にて

わるあつく吹や人みの松のかせ
   去來

   玄梅子撰集のよし聞て

夜はなかしならの咄しや南圓堂
   智月

   山中の温泉にゆく程しら根か嶽あとに見なしてあ
   ゆむ左の山際に観音堂あり花山法皇卅三所順礼と
   けさせ給て後大慈大悲の像を安置したまひ那谷山
   と付給とかや那智谷汲の二字をわかち侍りしとそ
   奇石さまさまに古松うへならへて萱ふきの小堂岩
   の上に造りかけて勝所の地也

石山のいしより白し秋のかせ
   翁

喰ものに味もつきけり浦の月
   野明

閑なる秋とや蛸も壺のなか
    惟然

   魚 鼈

(はや)釣の手玉とるなり一さかり
   沙明
 ナカサキ
両の手に河豚ふらさける雪吹哉
   卯七

   ふりもの

今一俵炭を買ふかはるのゆき
   支考

   猿 沢

門高く池にこけこむあられ哉
   卓袋

雷に雪ふり渡すやまへかな
    如行

   往年翁はしめて來りたまひしとき唐鍋に温飩豆腐
   をしたゝめ餘寒をふせかしむ自然と誹躰なる事を
   感しおもはれけるにや素觴子と表徳せられたり嬉
   しさの儘あいさつもなきといへは一笑となりぬ其
   比の事おもひ出しふるひたれとも又こゝにいたし
   

とりつかぬ力て浮むかはつかな
   丈艸

とんほうのむれ吹ほとく秋の風
   沙明

   

畠より頭巾よふなり若菜つみ

   此句東武より聞へけるよし 其角 子發句たるへしと
   て洛の風國の文の中に侍り

   八日茅屋の會に

月花の坐頭にたつわかな哉
   朱拙

   山家に一宿して

菜の花や水風呂からの目八分
   卯七

あさ夕の下女の仕立やちさの露
   水札

   田家住居もそこそこにふるひて

口切のやくそくするや蔦の宿
   素覧

   在江の折から山庵の丈艸師へ申つかはしける

來る春のかたはな持や芋の錢
    曲翠

   千しゆといふところにて舟をあかれは前途三千里
   のおもひむねにふさかりて幻のちまたに離別のな
   みたをそゝく

行はるや鳥啼うをの目は泪/A>
   翁

   仙臺に入てあやめふく日や旅宿に趣き畫工嘉右衛
   門と云もの紺の染緒付たる草鞋二足餞すされはこ
   そ風流のしれもの爰にいたりて其実をあらはす

あやめ草足にむすはん草鞋の緒
   翁

   西國船かゝりの比

あすのひのひより譽てや霽の月
   惟然

蜻蛉の來ては蠅とる笠の中
   丈艸

たひそうきなみた色あるたをの萩
   惟然

   同行にわかれいつるとて

行々てたふれ臥すともはきのはら
   曾良

   といひ置たり行ものゝ悲しみ殘るものゝうらみ双
   鳧のわかれて雲にまよふかことし予も又

けふよりや書付消さむ笠の露
   翁

   伏見の夜ふねにねて

ほのくぼに厂落かゝる霜夜かな
    路通

   金沢北枝といふものかりそめに見送りて此所まて
   したひ來れる此風景すこさすおもひつけて折ふし
   哀なる作意なと聞ゆ今すてに別にのそみて

もの書てあふき引さく名殘かな
   翁

暮かたはうちなやされし暑さ哉
   沙明

神鳴もさはくやとしの市の音
    去來

   けふ親しらす子しらす犬もとり駒返しなとゝいふ
   北國一の難所をこえてつかれ侍れは枕引よせ寐た
   るにひと間へたてゝにしの方にわかき女の聲二人
   はかりと聞ゆとし老たるおのこのこゑもましりて
   物かたりするを聞は越後國新潟といふ所の遊女な
   りし伊勢參宮するとて此関迄おのこ送りて明日は
   ふるさとへかへる文したゝめてはかなきことつて
   なとしやる也しらなみのよする汀に舟をはふらか
   しあまのこのよをあさましう下りて定めなき契日々
   の業因いかにつたなしとものいふを聞々寐入て
   あした旅たつに我々にむかひて行衛しらぬ旅路の
   うさあまり覺束なふ悲しく侍れは見えかくれにも
   御あとをしたひ侍らん衣の上の御情に大慈の御め
   くみをたれて結縁せさせ給へとなみたを落す不便
   の事には侍れともわれわれは所々にて泊る方おほ
   し只人の行にまかせて行へし神明の加護必恙なか
   るへしといひ捨て出哀さしはし止さりけらし。

一家に遊女も寐たり萩と月
   芭蕉

   翁の忌日木曾塚にまふて

戸を明て咲花見せん佛達
   智月

   高舘にて

卯のはなに兼房見ゆる白毛哉
   曾良

   兼て耳驚したる二堂開帳す

五月雨のふり殘してや光堂
   翁

   大聖寺の城外全昌寺といふ所にとゝまる猶加賀の
   地也曾良も前の夜此寺にとまりて

終霄秋風きくやうらのやま

   と殘残る一夜の隔千里に同し我も秋風を聞て衆寮
   に臥はあけほのゝ空ちかふ讀經の聲澄まゝに鐘板
   なつて食堂に入けふは越前の國へと心さし早卒に
   て堂下にくたる若僧共紙硯をかゝへ階のもとまて
   追來るおりふし柳ちれは

庭はきて出はや寺に散やなき
   翁

   翁を待し比は過て十月中比過にはかなきことの聞
   えけれは

あたり初せさる火桶を香爐哉
   玄梅

   田 家

聞まひといふか案山子の腰かたな
    去來

浮草やしかも山田の落し水
   正秀

   ある草菴にいさなはれて

秋凉し手毎にむけや瓜なすひ
   翁

はやものに殘るあつさやちらちら穂
   沙明

   哀傷述懐

   亡翁三周忌

顔しらぬ世にもなかせんしくれ哉
    土芳

   一笑といふもの此道に好る名のほのほのと聞えて
   世に知人も侍りしに去年の冬早世したりとその兄
   追善を催すに

塚もうこけ我泣こゑは秋の風
   翁

かみこきて寄はいろりのはしり炭
    丈艸
 三州新城
子共のと見えていくつも切籠哉
   桃先

   伊賀より 卓袋 子と共に御祭に歩をすゝめて玄梅子
   の宅に満三夜を明す

つげはなをくたけなからや熾し炭
    惟然

    水札 と更るまて語りて

出ていなはあとをほそめよ雪の門
   沙明

   かへし

後手に樞おとして冬こもり
   水札

書出しを何と師走のまき柱
    其角

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