| ヲハリ
| 露川
居士
|
| 堅固なる所手向よ菊の花
|
享保2年(1717年)、
『西國曲』
(露川・燕説)板。
杉風
跋。
享保6年(1721年)、露川は門人燕説を伴って北越地方を行脚。
享保7年(1722年)、
『北國曲』
(巻耳撰・燕説補)。遊園堂
露沾
序。
享保8年(1723年)、『露川責』(各務支考)。
享保20年(1735年)5月12日、鳴風館吟山
「水鶏塚」
建立。銘文は月空居士露川。
水鶏鳴と人乃云へ者や佐屋泊
寛保3年(1743年)8月23日、83歳で没。
「水鶏塚」
に辞世の句碑がある。
秋を余所にまつや十帰千かへり
建福寺
に露川の門人燕説の墓があるそうだ。
露川の句
蓑笠も世に足る人や冬籠
出揃ふや稲の田づらのざんざぶり
来年は来年はとて暮にけり
山風の相手に吹や網代小屋
うくひや崕(※「山」+「崩」)の上からさか落し
飛とりをしたに愛宕の青あらし
其角
餞
つれ衆に負てやるなり此さむさ
如行
亭にて
鶯や巣を掛かえ(へ)て寝る覚悟
くたびれた顔に花ちる婢子(はふこ)かな
山門を雲の出引や夏の山
庭へ出て馬の米喰ふ夜寒かな
或人の別莊に入て四明の翁か月と影と我と三盃三盃といへるたゝすまひもなつかしまれて
柚の花の下て酒のむ月夜かな
草臥た顔に花散る婢かな
人中をにほひありくや市の梅
石垣をさゝらに撫るやなぎかな
縁遠き雛や節句の店守り
野寺をとふらふ
弟子の手にかけぬ佛の若菜哉
凉しさよ草の葉動く日の曇
梅かゝのあつまり兼て夜は寒し
廻り道は造作がましや時鳥
川越の流れて見するやなき哉
出ル日をからくる山の落はかな
この山の寒さを握るわらひかな
年々にふえて芽立や塚の草
寐かえりをさせて秋たつふくへ哉
定宿に星も休や鏡やま
汐みちて上野の方や舞雲雀
空焼の京を目下に紙子夜着
下戸ならばとてこそ梅は咲にけり
乾鮭や湯とも水ともなりはせて
分別をはなれて海の月夜かな
弟子の手にかけぬ仏のわか菜哉
梢から舌喰きつて椿かな
粟糠や庭にかたよるけさの秋
橋立やじゝまぬ松の一文字
見わたせば蓮臺廣き花野かな
雲に乘る我か田ごとの月の照リ
梟の声ぶ性(不精)さよおぼろ月
分別をはなれて海の月夜かな
俳 人
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
|