このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

蕉 門

貝増卓袋

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伊賀上野の富商。通称市兵衛。屋号は絈屋(かせや)。別号如是庵。

卓袋 いが國いせや与兵衛、ゼゝノ町人。

『蕉門諸生全伝』 (遠藤曰人稿)

万治2年(1659年)生まれ。

 元禄4年(1691年)1月、卓袋方で「月待」の講が催された。

月待や梅かたげ行く小山伏

『蕉翁全伝』

 元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉は大坂 南御堂 前花屋仁右衛門宅で死去。

 芭蕉翁の遺骸は遺言により、膳所の 義仲寺 に葬られたが、訃報をうけて、翁の臨滅に馳せ参じた伊賀の門人貝増卓袋、 服部土芳 は生地に遺髪を奉じて帰り、先塋の傍に墳を築いて故郷塚ととなえた。

故郷塚


宝永3年(1706年)8月14日、48歳で没。

昭和17年(1942年)、 卓袋の句碑 を建立。



一聲はつげの在所へほとゝぎす

卓袋の句

上下の庵の往来や朧月


   奈良の片わきにやどりて

うら盆や家の裏とふはかまゐ(い)


そなへ物名は何々ぞ魂まつり


初雪や植こみ退て松たは(わ)


はつかりに遅ひからすや目をさます


いなつまにつかえて明ぬ扉かな



はなはなし色染替て頭巾かな


立もどり花見や過す畠行


立どまり花見や過す畠づら


菅笠を小者と見てや花の雪


村雲を出る心や夕すゝみ

大輪やうごかせもせず菊の枝


花有て蝶も徃て來る柴の門


田の水に生出て凉しかきつはた


うら盆や家の裏とふ墓まいり


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